衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年02月17日    日曜日     第1 回の開示 合計411回の開示

万法を伴わないものとは何か

龐蘊居士が馬祖道一禅師に問うた:「万法を伴わないものとは何者か?」禅師は答えた:「汝が西江水を一口で吸い込んだ時、その時にお前に告げよう」。龐蘊居士はこれを聞いて悟った。何を悟ったのか?この万法を伴わないものが、物ではない物であることを悟った。それは何物か?なぜ万法を伴わないのか?  

龐蘊居士が悟ったのは自性清浄心である。この心は万法を伴わない。如来蔵には色がなく、色を伴わず、音声がなく、音声を伴わず、香りがなく、香塵を伴わず、味がなく、味塵を伴わず、触覚がなく、触塵を伴わず、法がなく、法塵を伴わない。如来蔵には六根がなく、六根を伴わず、六識がなく、六識を伴わない。如来蔵には四聖諦がなく、四聖諦法を伴わず、菩薩の六波羅蜜がなく、六波羅蜜を伴わない。如来蔵には十二因縁がなく、十二因縁法を伴わず、如来蔵には世間法がなく、いかなる世間法も伴わない。世間が滅んでも如来蔵は滅びない。故に如来蔵こそが万法を伴わない心である。

また、如来蔵は万法と混ざり合わない。これが阿含経で説かれる「不相在」である。五陰十八界は如来蔵の中になく、如来蔵は五陰十八界の中にない。両者は同類ではなく、混ざり合わず、同一の事物でなく、同じものではない。故に混合できない。五陰が滅んでも如来蔵は滅びず、自ら単独で存在し、いかなる法にも依存せず存在する。故に万法を伴わない。

馬祖禅師は龐蘊居士に示した:「汝が西江水を一口で吸い込んだ時、その時にお前に告げよう」。実はこれですでに道を示しているが、一般人の意識的な思考や推論では知り得ない。龐蘊居士もまた利発な人物で、この時彼は「あの存在が現れるだろう」と知った。彼の智慧は並大抵ではなかった。現代人のように「自分は西江水を飲めないし、まして飲み干せない」と諦めて、諦めることが悟りだと考えるのとは異なる。あるいは「西江水もまた我心が現じたもので空である」と理屈で理解し、それを悟りだと考えるのも誤りである。こうした理解では如来蔵の心体を悟得できず、如来蔵が如何に五陰や万法を生じるかも知り得ない。

我々が毎日水を飲むのも、日常の事として見過ごし、そこに奥秘があることを知らない。これを「日用にして知らず」という。趙州和尚は訪ねて来た者に平素「茶を食べに行け」と言った。大禅師の言葉には特別な意図があるが、一般人はその意味を解さず、ただ茶を飲み続け、結局何も得られない。我々は茶を飲む時、自らに問うべきである。「誰が茶を飲んでいるのか?茶を飲む原理は何か?」こうして遅かれ早かれその秘密を悟る日が来るだろう。

——生如法師の開示
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