雑阿含経第一卷の選講
作者: 釋生如 分類: 二乗の解脱
更新時間: 2025-02-26
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雑阿含経第一巻 三
世尊は諸比丘に告げた:内心において色蘊を知らず、理を明らかにせず、貪欲を断たず、貪欲を離れず、依然として自らの色蘊を貪愛する者は、生老病死憂悲苦悩を断除することができない。受蘊・想蘊・行蘊・識蘊に対しても、知らず、理を明らかにせず、貪欲を断たず、貪欲を離れず、内心において依然として自らの受蘊想蘊行蘊識蘊を貪愛する者は、生老病死憂悲苦悩を断除することができない。
諸比丘よ、色蘊に対しもし知ることができ、明らかにすることができ、貪欲を断除し、貪欲を離れることができるならば、生老病死憂悲苦悩を断除する能力が生じる。受想行識四蘊に対しもし知ることができ、明らかにすることができ、貪欲を断除し、貪欲を離れることができるならば、生老病死憂悲苦悩を断尽し解脱を得る能力が生じる。
解脱道を修するには、まず五蘊の概念と内包を明らかにし、次に随時随所において五蘊の無常・虚妄・生滅・変化・空幻・無我を観察しなければならない。このようにして初めて、次第に五蘊への貪愛を減少させ、我見を断除し、さらに初禅を発起し、五蘊への貪欲を断除し、最終的に一切の貪愛を断尽し一切の煩悩を断尽することができる。もし五蘊を明らかにせず、五蘊を観察せず、貪心が減ぜず、まして滅尽することもなければ、生死輪廻の苦を超越することはできない。無明を破砕することが即ち明であり、明あれば解脱が可能である。無明こそが生死であり、無明が断尽されれば三界の生死苦を出離するのである。