衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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雑阿含経第一卷の選講

作者: 釋生如 分類: 二乗の解脱 更新時間: 2025-02-24 閲覧回数: 3608

雑阿含経第一卷 七

世尊は諸比丘に告げられた:もし人が色陰に対して貪愛し喜ぶならば、それは苦を喜ぶに等しい。苦を貪愛し喜ぶ者は、苦から解脱することができない。色陰を貪愛し喜ぶが故に、身見は断たれず、色陰に繋縛され、心は色陰を執取し貪り取ろうとする。貪執が絶え間ないならば、意根の色陰に対する執着も絶えず、命終する時、意根は執着によって常に色陰の存在を想い、これによって中有の身が生じ出るのである。

而して中有の身は七日ごとに滅亡し、最大七つの中有の身を持つ。意根は中有の身が頼りにならぬと知ると、慌ただしく胎児に赴き、来世の色陰の存在を保持しようとする。胎児となった後には来世の色陰が生じ、これによって生老病死の無量なる憂悲苦悩が生じ、純大苦聚が発生する。かくして衆生はこれらの無量なる憂悲苦悩を受け、生死の苦から解脱できず、苦しみは絶え間なく続く。故に世尊は、色陰を貪愛することは苦を貪愛することだと説かれた。

世尊はかつて弟子たちを率いて海辺に至り、砂浜に横たわる一具の女屍を見た。この女屍は既に膨張し腫れ上がり、顔面に小さな虫が這っていた。世尊は弟子たちに告げられた:この女性は生前非常に美しい容貌を持ち、自ら己の容姿を深く愛し、毎日鏡を見て己の顔を眺めていた。命終の時、自己への貪愛を捨てきれず、顔を這い回る虫に転生し、なおも己の顔を貪愛し続けている。この物語は、何を愛執するかによってそれに繋縛され、離脱できず解脱できないことを教える。必ず来世の生老病死が生じ、憂悲苦悩を離れられず、生死の苦から解脱できない。世尊は我々に貪愛を断つよう教え、即ち苦を断ち、心を解脱させ、生死輪廻から出離させるのである。

世尊は諸比丘に告げられた:もし受陰・想陰・行陰・識陰に対しても貪愛し喜ぶならば、それは苦を貪愛し喜ぶことに等しい。苦を喜ぶ者は苦から解脱できず、苦しみは絶え間なく続く。受陰・想陰・行陰・識陰を貪愛するが故に、これら四陰に繋縛され粘着し、心は四陰を執取し続け、未来世の存在が絶え間なく続く。命終の時、意根の執着によって中有の身が生じ、再び胎児に赴けば来世の受想行識四陰が生じ、生老病死の無量なる憂悲苦悩が発生する。かくして衆生は苦しみ続け、生死輪廻の苦から解脱できないのである。

世尊は更に諸比丘に告げられた:もし色陰を貪愛し喜ばなくなれば、色陰に繋縛されず、心は色陰を執取せず、中有の身の出現もなくなる。あるいは意根が中有の身の中で自ら滅し、胎児に赴かなくなる。これにより来世の色陰は生じず、生老病死の無量なる憂悲苦悩も滅び、心は解脱し生死輪廻の苦からも解脱するのである。

世尊は再び諸比丘に告げられた:もし受想行識四陰を貪愛し喜ばなくなれば、四陰に繋縛され粘着せず、心は四陰を執取せず、中有の身の出現もなくなる。あるいは意根が中有の身の中で滅し、胎児に赴かなくなる。これにより来世の四陰は生じず、生老病死の無量なる憂悲苦悩も滅び、心は解脱し生死輪廻の苦からも解脱するのである。

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