衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

五蘊の観行による我見の断ち(第二部)

作者: 釋生如 分類: 二乗の解脱 更新時間: 2025-03-11 閲覧回数: 1107

第十章 ヨーガ師地論第三十四巻(四諦相)

第一節 苦諦相を明らかにするにはどのようにすべきか

原文:若樂往趣。出世間道。應當依止。四聖諦境。漸次生起。七種作意。所謂最初。了相作意。最後加行。究竟果作意。乃至証得。阿羅漢果。修瑜伽師。於四聖諦。略摽廣辯。增上教法。聽聞受持。或於作意。已善修習。或得根本。靜慮無色。

釈:もし修行者が楽んで出世間道へ趣向せんとするならば、四聖諦の境を依止し、漸次に七種の作意を生起せしむべきである。この七種の作意とは、最初の了相作意、後の勝解作意、遠離作意、摂楽作意、観察作意、加行究竟作意、及び最後の加行究竟果作意を指し、阿羅漢果を証得するに至る。ヨーガを修する行者は四聖諦の理を大略に渉猟し、広く増上の教法を弁じ、これを聴聞受持する。彼らは或いは如理作意を既に善く修習し、或いは根本静慮の四禅八定を証得し、更に無色界定に達する。

この文は凡夫から四果阿羅漢に至る修学の内容と次第、すなわち過程を大略的に示す。衆生が世間の苦を解脱し涅槃の楽を証得せんとするならば、四聖諦を修学せねばならない。四聖諦を修行する過程において七種の作意を生起させる必要がある。所謂作意とは、注意、関心、用心を指し、心の趣向する所でもあり、また観行・観察を意味する。作意が異なれば趣向も異なり、果も異なる。最終的に加行究竟果作意が生起して初めて究竟果を得、阿羅漢果を証得し解脱を得て出世間する。

原文:由四種行。了苦諦相。謂無常行。苦行空行。無我行。由四種行。了集諦相。謂因行集行。起行緣行。由四種行。了滅諦相。謂滅行靜行。妙行離行。由四種行。了道諦相。謂道行如行。行行出行。如是名爲。了相作意。

釈:四聖諦を修習するに当たり、四種の行によって苦諦の相を明らかにする。すなわち無常行・苦行・空行・無我行である。四種の行によって集諦の相を明らかにする。すなわち因行・集行・起行・縁行である。四種の行によって滅諦の相を明らかにする。すなわち滅行・静行・妙行・離行である。四種の行によって道諦の相を明らかにする。すなわち道行・如行・行行・出行である。これらの法を総称して了相作意と名付ける。

この段は四聖諦の大略的な修行内容を紹介する。各諦の修学は四種の行を含み、合わせて十六行となり、四諦十六行と称される。

原文:由十種行觀察苦諦。能隨悟入苦諦四行。何等爲十。一變異行。二滅壞行。三別離行。四法性行。五合會行。六結縛行。七不可愛行。八不安隱行。九無所得行。十不自在行。如是十行依証成道理。能正觀察。

釈:十種の行から苦諦を観察することにより、苦諦四行に随順して悟入することができる。十種の行とは何か。第一は変異行、第二は滅壊行、第三は別離行、第四は法性行、第五は合会行、第六は結縛行、第七は不可愛行、第八は不安穏行、第九は無所得行、第十は不自在行である。このような十種の行は証成道理に依拠して正しく観察することができる。

この段落は十種の行を紹介し、十種の行によって苦諦を観察することで初めて苦諦の四行を悟入し、最終的に四行によって苦諦を証得できることを述べている。

原文:此中且依。至教量理。如世尊說。諸行無常。又此諸行。略有二種。一有情世間。二器世間。世尊依彼有情世間。說如是言。苾芻當知。我以過人。清淨天眼。觀諸有情。死時生時。廣說乃至。身壞已後。。當生善趣。天世界中。由此法門。顯示世尊。以淨天眼。現見一切有情世間。是無常性。

釈:苦諦を観察するには世尊の説かれた至教量の理に依らなければならない。例えば世尊の説かれた諸行無常の理がそれである。諸行無常即ち是れ苦であり、諸行無常を行じ観ずることは即ち苦諦と苦集諦を行じ観ずることである。仏の説かれる諸行無常の「行」は大略二種ある。第一は有情世間、第二は器(無情)世間である。仏は説きたまう「我は人類を超越した清浄な天眼で、諸有情の死ぬ時と生まれる時を観る」。広く説く乃至「身体が壊れた後、善趣の天世界に生ずるであろう」。この法門は世尊が清浄な天眼で現見した一切有情世間の無常性を顕示している。

此の段落より世尊が具体的に諸行無常を開示し始める。行とは生住異滅を有する法を指し、生住異滅を起こし得る全てのものは行である。一切の行を諸行と名付け、諸行は全て無常である。生住異滅の現象が存在するが故である。これらの現象を世尊は清浄な天眼で悉く見通す。仏が如何なる法を見るにしても、世間と出世間の一切法は全て現見であり、現見ならざる比量思惟や非量の憶測は存在せず、智慧が究竟円満であるが故である。衆生の見る法は現量・比量・非量の三種に分かれるが、仏は完全に現量であり、衆生はそうではない。器世間の無常については長阿含経の起世因縁経に説かれる器世間の生住異滅を参照すべきである。

原文:又世尊言。苾芻當知。此器世間。長時安住。過是已後。漸次乃至。七日輪現。如七日經廣說。乃至所有大地。諸山大海。及囌迷盧大寶山王。乃至梵世諸器世界。皆被焚燒。災火滅後。灰燼不現。乃至餘影。亦不可得。由此法門。世尊顯示。諸器世間。是無常性。如是且依。至教量理。修觀行者。淨信增上。作意力故。於一切行。無常之性。獲得決定。得決定已。即由如是。淨信增上。作意力故。數數尋思觀察。一切現見不背。不由他緣。

釈:世尊は起世因縁経に於いて説きたまう。比丘ら、汝ら知るべし。娑婆世界の此の器世間は今尚久しく安穏に住するも、此の時を過ぎて後漸く二日・三日、遂には七日の如く現出す。七日経に説く如く、此時器世間の一切の大地・諸山・大海、及び欲界天の須弥山、乃ち色界の全ての器世間悉く焼滅す。火災過ぎて灰燼も消滅し、影像すら尋ね得ず。

世尊の此の説は一切器世間の無常性を顕示す。世尊の開示を聞き、世尊の至教量理に依止し、観行者は諸行無常に対する浄信を増上し、諸行無常に作意する力を強化す。是を以て一切行の無常性に対し決定を得る。心に決定を得た後、此の浄信増上作意力を以て、絶えず諸行無常性を尋思観察し、一切行の無常性を現見す。至教量理に違背せず、此の現見は他因縁の示唆に非ず、如実観察により自心現見なり。

諸行無常を観察するには浄信力に依る必要有り。世尊の説く諸行無常を信じ、心清浄にて他念を為さず。浄信有るが故に作意観察尋伺し得る。若し浄信無く諸行無常を信ぜざれば作意観察せず。観察は自心現見なり。現見に非ざれば現前観察と称さず。自心現見は即ち現量観察・現量所証なり。現は現前存在・真実存在の意にて、思惟想像の補填に非ず。修行者は世尊の諸行無常至教量理を熏習し、禅定中に諸行の無常性を観察し、縁熟すれば諸行真に無常なるを現見し、遂に苦諦を実証す。諸行の苦を現見すれば、再び苦を受けたくなく、苦滅の願望生起す。

原文:無常之性。雲何數數。尋思觀察。謂先安立。内外二事。言内事者。謂六處等。言外事者。有十六種。一者地事。謂城邑聚落。捨市廛等。二者園事。謂葯草叢林等。三者山事。謂種種山。安布差別。四者水事。謂江河陂湖。衆流池沼。五者作業事。六者庫藏事。七者食事。八者飲事。九者乘事。十者衣事。十一者莊嚴具事。十二者舞歌樂事。十三者香鬘塗飾事。十四者資生具事。十五者諸光明事。十六者男女承奉事。如是名爲十六種事。

釈:諸行無常の性を如何にして絶え間なく尋思し観察するか。まず五陰身の内外二事を安立する。内事とは眼・耳・鼻・舌・身・意の六処等である。外事は飲食・衣服・居住・用物・行動等十六種である。第一は地事で、城邑・部落・舎宅・交易場所等を含む。第二は園事で、薬草・花卉・樹木を植える処を含む。第三は山事で、高山・丘陵等の大小異なる山を含む。第四は水事で、江河・大海・湖沼・池塘等の水が聚集する処を含む。第五は作業事。第六は庫蔵事。第七は飲食事。第八は飲水事。第九は車乗事。第十は着衣事。第十一は荘厳具事。第十二は歌舞音楽事。第十三は香華塗鬘装飾事。第十五は光明照耀事。第十六は男女承奉事。

これらの事は全て世俗界の無常事であり、これらの法が無常である所以は、全てが有為造作された生住異滅の法であり、生じた後は念念に停留せず、絶えず変異し、遂には滅尽するが故である。衆生は幼少より成長するまで常にこれらの無常事を行じながら、無常を覚えず、至教量理を修習した後は意識では容易にこれらの事の無常性を理解するが、意根が愚鈍で容易に受け入れ難い。故に戒定慧を修習し、禅定の中で観行を重ね、最終的に無常性を証得しなければならない。証得とは現見である。現見とは現前に法の無常性を観察したことであり、意識の思惟や理解に依るものではない。無常性が明晰に顕現し、信服せざるを得ず、直ちに受け入れた時が証得であり、同時に三昧が現前し、内心が法の無常を感知した状態で動揺しなくなるのである。

原文:安立如是。内外事已。複於彼事。現見增上。作意力故。以變異行。尋思觀察。無常之性。此中内事。有十五種。所作變異。及有八種。變異因緣。雲何内事。有十五種。所作變異。一分位所作變異。二顯色所作變異。三形色所作變異。四興衰所作變異。五支節具不具。所作變異。六劬勞所作變異。七他所損害。所作變異。八寒熱所作變異。九威儀所作變異。十觸對所作變異。十一襍染所作變異。

釈:此の内外事を安立した後、更に此等の事を現見せんが為に、見法の作意力を強化し、諸法変異の角度より内外事の無常性を尋思観察す。内事に十五種の変異有り、八種の変異因縁有り。内事の十五種変異とは何か。一、色身が異なる時期の分位に在る変異。二、顕色に現れる変異(膚色の白黒赤黄等)。三、形色に現れる変異(高低肥痩等)。四、色身の興衰に現れる変異(力有り無し等)。五、身根肢節に現れる変異(腕脚欠損等)。

六、労作に現れる変異(疲労・非疲労等)。七、他者より損害を受ける変異(欺凌・誣陷・誹謗・名声毀損等)。八、寒熱に現れる変異(発熱・畏寒等)。九、威儀進止に現れる変異(怠惰・腰曲がり・動作不便等)。十、接触対象に現れる変異(人事物の変動)。十一、雑染心所作に現れる変異(善悪業の転変)。十二、身体疾病に現れる変異(健康→病苦等)。十三、死亡に現れる変異(寿命終了)。十四、死後身体に青淤腫脹が現れる変異。十五、死後尸体消失し灰燼も消滅する変異。

原文:雲何八種。變異因緣。一積時貯畜。二他所損害。三受用虧損。四時節變異。五火所焚燒。六水所漂爛。七風所鼓燥。八異緣會遇。

積時貯畜者。謂有色諸法。雖於好處。安置守護。而經久時。自然敗壞。其色衰損。變異可得。他所損害者。謂種種色法。若爲於他。種種捶打。種種損害。即便種種。形色變異。受用虧損者。謂各別屬主。種種色物。受者受用。增上力故。損減變異。

釈:八種の変異因縁とは何か。第一は積時貯畜。第二は他所損害。第三は受用虧損。第四は時節変異。第五は火所焚焼。第六は水所漂爛。第七は風所鼓燥。第八は異縁会遇である。

積時貯畜の意味は、色相有る諸法を適切な場所に保管していても、長時を経れば自然に壊れ、色相が衰損変異する現象が現れることである。他所損害の意味は、種々の色法が他者から様々な方法で打たれ損害されると、様々な形色の変異が生じることである。受用虧損の意味は、各々の所有者に属する種々の色物が、使用者の不断の使用により磨耗変異する現象である。

原文:時節變異者。謂秋鼕時。叢林葯草。華葉果等。萎黃零落。於春夏時。枝葉華果。青翠繁茂。火所焚燒者。謂大火縱逸。焚燒村邑。國城王都。悉爲灰燼。水所漂爛者。謂大水洪漫。漂蕩村邑。國城王都。悉皆淪沒。風所鼓燥者。謂大風飄扇。溼衣溼地。稼穡叢林。干韅革日枯槁。

釈:時節変異の意味は、秋冬の時節に叢林の薬草・花・葉・果実等が萎黄して散り落ち、春夏の時節に叢林・薬草・枝葉・花果が再び生長し青翠繁茂することである。火所焚焼の意味は、大火が燃え上がり村邑聚落を焼き払い、国城王宮が灰燼と化すことである。水所漂爛の意味は、大水が広がり村邑聚落を水没させ、国城王宮が洪水に沈むことである。風所鼓燥の意味は、大風が吹き荒れる時、湿った衣類や土地・穀物・叢林が乾燥し次第に枯れ朽ちることである。

原文:異緣會遇者。謂緣樂受觸。受樂受時。遇苦受觸。緣苦受觸。受苦受時遇樂受觸。緣不苦不樂受觸。受不苦不樂受時。遇樂受觸。或苦受觸。又有貪者會遇瞋。緣貪纏止息。發起瞋纏。如是有瞋癡者。會遇異分。煩惱生緣。當知亦爾。如是眼識。正現在前。會遇聲香味觸境等。是名八種。變異因緣。一切有色。及無色法。所有變異。皆由如是。八種因緣。除此更無。若過若增。

釈:異縁会遇の意味は、楽受の触を縁として楽受を受けるべき時に苦受の触に遇い、苦受の触を縁として苦受を受けるべき時に楽受の触に遇い、不苦不楽受の触を縁として不苦不楽受を受けるべき時に楽受の触或いは苦受の触に遇うことである。更に貪有る者が瞋の縁に会遇し、貪の煩悩纏縛が止息すれば瞋の煩悩纏縛が生起し、瞋痴有る者が非瞋非痴の煩悩生起の縁に会遇することも同様である。眼識が正に現前する時に声香味触の境界縁に会遇することを八種変異因縁と称する。一切の色法と無色法の全ての変異は、此の八種因縁によって起こる。此れ以外に他の因縁は存在しない。

此処の「異」は変化を意味し、遇する縁が変化すれば、因が変化し果も変化する。因縁変異は大略此の八種に分かれ、細分すれば更に多くなる。縁が変化する故に無常であり、果が変化する故に無常でもある。因縁変異によって無常が完全に顕示されるのである。

原文:雲何尋思。内事分位所作。變壞無常之性。謂由觀見。或自或他。從少年位。乃至老位。諸行相續。前後差別。互不相似。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。何以故。此内分位。前後變異。現可得故。

釈:如何にして色身分位に現れる壊変無常の性を観察するか。自己或いは他者が少年位から老年位に至る期間において、諸行が相続して変異し、前後の差異現象に相似する点が無いことを観察する。此の現象を観察した後、心に此の如き観念を生ずべし「此の諸行の性は真に無常なり」。何を以て此の結論を得るか。色身の内分位において幼少より老年に至る前後の変化と差異が、確かに現前に観察し得るが故である。

原文:雲何尋思。内事顯色所作。變異無常之性。謂由觀見。或自或他。先有妙色。肌膚鮮澤。後見惡色。肌膚枯槁。複於後時。還見妙色。肌膚鮮澤。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。何以故。此内顯色。前後變異。現可得故。

釈:如何にして内身事の眼識に見られる顕色上に現れる変異無常の性を観察するか。自己と他者が本来妙なる膚色を有し、肌膚が鮮嫩潤澤していたが、後に膚色が悪化し枯槁し、再び鮮嫩潤澤せず、時を経て再び色沢妙なる肌膚潤澤を見る。此の現象を観察した後、心に便ち想う「此の如き諸行の性は確かに無常である」。何故かと言えば、此の身内の顕色が前後異なり、変異無常であることが現前に観察し得るが故である。

原文:雲何尋思。内事形色。所作變異。無常之性。謂如說顯色。如是形色。由肥瘦故。應知亦爾。雲何尋思。内事興衰。所作變異。無常之性。謂由觀見。或自或他。先時眷屬財位。或見悉皆興盛。後見一切。皆悉衰損。複於後時。還見興盛。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。何以故。興衰變異。現可得故。

釈:如何にして内身事の形色上に現れる変異無常の性を観察するか。観察された顕色と同様に、形色の肥痩についても同じ道理が適用される。如何にして内身事の興衰に現れる変異無常の性を観察するか。自己と他者の過去の眷属・財産・地位を観察し、時に全てが興盛しているのを見、後に衰損し、更に後には再び興盛するのを見る。此の現象を観察した後、心に此の如き感想を生ず「是の如き諸行、其の性は確かに無常なり」。何故か。家財眷属の興衰変異が現前に観察し得るが故である。

原文:雲何尋思。内事支節。所作變異。無常之性。謂由觀見。或自或他。先時支節。無有缺減。後時觀見。支節缺減。或王所作。或賊所作。或人所作。或非人作。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈:如何にして内身事の肢節上に現れる変異無常の性を観察するか。自己或いは他者の肢節が、先には欠減無かりしが、後に欠減有るを見る。此の事態が王の懲罰によるか、賊の略奪によるか、他者によるか、非人によるかを観察し、此の現象を見終えて、心に此の観念が現れる「是の如き諸行、其の性は確かに無常なり」。

原文:雲何尋思。内事劬勞。所作變異。無常之性。謂由觀見。或自或他。身疲勞性。身疲極性。或馳走所作。或跳踴所作。或趒躑所作。或騙騎所作。或作種種。迅疾身業。複於餘時。見彼遠離。疲勞疲極。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈:如何にして内身事の身体疲労に現れる変異無常の性を観察するか。自己或いは他者の身体の疲労性・極度の疲弊性を観察し、或いは疾走に由るもの、跳躍に由るもの、反復の跳躍に由るもの、騎乗に由るもの、種々の迅速な身行に由るものを観察し、後には此の極度の疲労が消失するのを見る。此の現象を観察する時、心に此の観念を生ず「是の如き諸行、其の性は真に無常なり」。

原文:雲何尋思。内事他所損害。所作變異。無常之性。謂由觀見。或自或他。他所損害。其身變異。或由刀杖鞭革。皮繩矛槊等壞。或由種種。蚊虻蛇蠍。諸惡毒觸。之所損害。複於餘時。見不變異。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈:如何にして内身事の他者による損害に現れる変異無常の性を観察するか。自己或いは他者が他者に損害され、身体に変異を生じた状態(刀で斬られる・杖で打たれる・革鞭で叩かれる・皮縄で縛られる・矛で突かれる等の毀損、或いは蚊・虻・蛇・蠍等の毒虫に刺される悪毒の接触)を観察し、後に恢復して変異無き状態を見る。此の現象を観察した後、心に此の観念を生ず「是の如き諸行は真に無常なり」。

原文:雲何尋思。内事寒熱。所作變異。無常之性。謂由觀見。或自或他。於正寒時。身不舒泰。踡侷戰慄。寒凍纏逼。希遇溫陽。於正熱時。身體舒泰。奮身干語。霡霂流汗。熱渴纏逼。希遇清涼。複至寒時。還見如前。所說相狀。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈:如何にして内身事の寒熱に由る変異無常の性を観察するか。自他或いは極寒の時、身体が不快に屈み震え、寒冷に迫られ温かい陽光を求める状態を観見し、或いは酷暑の時、身体を伸ばし全身が灼熱し口渇き、汗が雨の如く流れ、清凉を求める状態を観見する。後に寒季に至り再び前記の現象を見る。此の現象を観察し、心に此の観念を生ず「是の如き諸行、其の性は真に無常なり」。

原文:雲何尋思。内事威儀。所作變異。無常之性。謂由觀見。或自或他。行住坐臥。隨一威儀。或時爲損。或時爲益。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈:如何に内身の事が四威儀の上に現れる変異無常の性を観察するのか?自己或いは他人が行住坐臥する時、一つの威儀に随って、時に減損し、時に增益することを観察した後、心にこのような観念が現れる:「かくの如く諸行は、その性真に無常なり」と。

原文:雲何尋思。内事觸對。所作變異。無常之性。謂由觸對。順樂受觸。領樂觸緣。所生樂時。自能了別。樂受分位。如能了別。樂受分位。如是了別。苦受分位。不苦不樂受分位。應知亦爾。彼由了別。如是諸受。前後變異。是新新性。非故故性。或增或減。暫時而有。率爾現前。尋即變壞。知是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。

釈すべきこと:如何にして内身事が触対の時に現れる変異無常性を観察するか。順心の楽受触に触れ、楽触の縁より出生する楽受を領受する時、自然に楽受の分位を了別し得る。楽受分位を了別する如く、苦受分位も亦然り、不苦不楽受の分位も亦同様である。此の三種の受の前後変異を了別し、受が絶えず更新変化し、最初の如き不変ならず、三種の受が時として増加し時として減少し、各種の受が暫くして有り、突然現前し、久しからずして変滅するを見る。此等の現象を観察した後、心に此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。

原文:雲何觀察。内事襍染。所作變異。無常之性。謂能了知。先所生起。或有貪心。或離貪心。或有瞋心。或離瞋心。或有癡心。或離癡心。又能了知。隨一一種。諸隨煩惱。所染污心。又能了知。隨一一種。諸隨煩惱。不染污心。又能了知。彼心相續。由諸煩惱。及隨煩惱。於前後位。趣入變壞。不變壞性。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。何以故。心由襍染。所作變異。現可得故。

釈:如何に内身の事が雑染によって造り出された変異無常の性を観察するのか?先に生起した雑染心を了知し得る。或いは貪心有り、或いは貪心を離る。或いは瞋心有り、或いは瞋心を離る。或いは痴心有り、或いは痴心を離る。また、各々の随煩悩に随って生じた染污心をも了知し得、各々の随煩悩に随って生じた不染污心をも了知し得る。また、雑染心が相続して、諸煩悩及び随煩悩によって前後順次に変壊の性と不変壊の性に入ることを了知し得る。これらの現象を観察した後、心にこのような念想が生じる:「かくの如く諸行は、その性真に無常なり」と。何故ならば、心が雑染によって生じた変異は、現前に観察し得るからである。

原文:雲何觀察。内事疾病。所作變異。無常之性。謂由觀見。或自或他。先無疾病。安樂強盛。後時觀見。或自或他。遭重病苦。觸對猛利。身諸苦受。如前廣說。複於餘時。還見無病。安樂強盛。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。

釈すべきこと:如何にして内身事が疾病によって現れる変異無常性を観察するか。自己或いは他人が先に疾病無く身心安楽強健なるを観察し、後になり自己或いは他人が重き病苦に遭い甚だしく病み、非常に苦しむを受けるを見、更に後には自己或いは他人が再び病無く身心安楽強健なるを観察する。此等の現象を観察した後、心に此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。

原文:雲何觀察。内事終歿。所作變異。無常之性。謂由觀見。今時存活。安住支持。複於餘時。觀見死沒。唯有屍骸。空無心識。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。雲何觀察。内事青瘀等。所作變異。無常之性。謂由觀見。死已屍骸。或於一時。至青瘀位。或於一時。至膿爛位。如是乃至。骨鎖之位。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。

釈すべきこと:如何にして内身事が死亡に於いて顕現する変異無常性を観察するか。或る時には他人が生存し安穏に世に住するを見、後に至り其の者が死亡し屍体のみ残り心識無きを発見する。此の現象を観察した後、心に此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。如何にして内身事が屍体の青淤等の位相に現れる変異無常性を観察するか。既に死亡した屍体が一時に青淤腫脹の現象を呈し、一時に膿腫潰爛の現象を呈し、遂に一堆の骨のみ残るを見る。此等の現象を観察した後、心に此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。

原文:雲何觀察。内事一切。不現盡滅。所作變壞。無常之性。謂由觀見。彼於餘時。此骨鎖位。亦複不現。皆悉敗壞。離散磨滅。遍一切種。眼不複見。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。何以故。如是色相。數數改轉。前後變異。現可得故。

釈すべきこと:如何にして内身事の一切法が出現せず、悉く滅尽し、顕現した変壊無常の性を観察するか。身体が後時に残した一堆の骨さえ無く、悉く敗壊し消散し磨滅し、各種の色物が眼に見えざるを観察する。此等の現象を観た後、心に此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。何故に斯く説くのか。死後の死体の色相が絶えず転換し、前後変異の現象が悉く現前観察し得るが故である。

原文:如是且由。現見增上。作意力故。十五種行觀。察内事。種種變異。無常之性。觀察是已。複更觀察。十六外事。種種變異。無常之性。雲何觀察。地事變異。無常之性。謂由觀見。此地方所。先未造立道場。天寺宅捨。市廛城牆等事。後見新造。善作善飾。複於餘時。見彼朽故圮坼。零落頹毁穿缺。火所焚燒。水所漂蕩。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。何以故。如是色相。前後轉變。現可得故。

釈すべきこと:かくの如く、現量で見られる増上作意力によって、十五種の内事の種々なる変異無常性を観察した後、更に続けて十六種の外事の種々なる変異無常性を観察する。如何にして地事の変異無常性を観察するか。此の地の所在する方所を観察し、先には道場・寺院・舎宅・市場・城壁等が未だ建造されず、後になり此の地に新たに此等の建築物が建てられ、更に後には此等の建築物が老朽化し取り壊されたり、或いは零落衰敗して崩壊したり、或いは火災で焼失したり、或いは水害で倒壊したりするを見る。此等の事を観察した後、心に此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。何故に斯く説くのか。其の色相の前後転変が現前に観察し得るが故である。

原文:雲何觀察。園事變異。無常之性。謂先觀見。諸園苑中。葯草叢林。華果枝葉。悉皆茂盛。青翠丹暉。甚可愛樂。複於後時。見彼枯槁。無諸華果。柯葉零落。火所焚燒。水所漂蕩。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈すべきこと:如何にして園林の変異無常性を観察するか。先に全ての園林中の薬草・叢林・花果枝葉が悉く茂盛し、紅花緑葉実に愛らしきを見、後に至りては此等の植物が悉く枯槁し再び花果無く、葉は零落し、或いは火に焼かれ或いは水に衝き倒されるを見る。此等の現象を観察した後、心に想う:かくの如き諸行は其の性真に無常である。

原文:雲何觀察。山事變異。無常之性。謂於一時。觀見其山。叢林蓊鬱。聳石巉巖。複於一時。見彼叢林。巉巖聳石。雕殘頹毁。高下參差。火所焚燒。水所漂蕩。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈すべきこと:如何にして山川山脈の変異無常性を観察するか。或る時には山脈の林木が茂盛し、山岩が林立して雲を衝くを見、後ある時に至り其の叢林林立したる山岩が凋零残毀し、頽然として倒れんとし参差不斉となり、或いは火に焼かれ或いは水に衝き倒されるを見る。此等の事を観察した後、心に想う:かくの如き諸行は其の性真に無常である。

原文:雲何觀察。水事變異。無常之性。謂先一時。見諸河凟。池泉井等。濤波湧溢。醴水盈滿。後於一時。見彼一切。枯涸干竭。見是事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。雲何觀察。業事變異。無常之性。謂先一時。見彼種種。殉利牧辳。工巧正論。行船等業。皆悉興盛。複於一時。見彼事業。皆悉衰損。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈すべきこと:如何にして河水等の変異無常性を観察するか。先にある時には諸河川・泉池・井戸等の水流が波濤勇ましく、甘美の水が盈満するを見、後に或る時に至り一切の河川泉池が悉く枯渇し尽きるを見る。此等の現象を観た後、心に想う:かくの如き諸行は其の性真に無常である。如何にして所作業用の変異無常性を観察するか。先にある時には世俗の利を求める農牧業・建築科学の各種技術及び世間の正当なる演説弁論、並びに船舶運輸の業が盛んであるを見、後に或る時に至り此等の事業が悉く衰退したるを見る。此等の現象を観た後、心に此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。

原文:雲何觀察。庫藏變異。無常之性。謂由觀見。種種庫藏。一時盈滿。一時滅盡。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。雲何觀察。飲食變異。無常之性。謂由觀見。種種飲食。一時未辦。一時已辦。一時入口。牙齒咀嚼。和襍涎唾。細細吞咽。一時入腹。漸漸消化。一時變爲。屎尿流出。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈すべきこと:如何にして庫蔵の変異無常性を観察するか。種々の庫蔵が此時盈満し、彼時消失滅尽するを観察する。此等の現象を観た後、此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。如何にして飲食の変異無常性を観察するか。種々の飲食が此の時未だ調理されず、彼の時に調理されるを見る。此の時口に入れ咀嚼し、唾液と共に徐々に嚥下し、彼の時に飲食が腹に入り消化され、遂に屎尿に変じて排泄されるを見る。此等の現象を観察した後、此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。

原文:雲何觀察。乘事變異。無常之性。謂於一時。見種種乘。新妙莊嚴。甚可愛樂。複於一時。見彼朽故。離諸嚴飾。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。雲何觀察。衣事變異。無常之性。謂由觀見。種種衣服。一時新成。一時故壞。一時鮮潔。一時垢膩。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈すべきこと:如何にして車乗の事の変異無常性を観察するか。或る時には種々の車乗が未だ新しく美妙荘厳で人を愛楽せしむるを見、別の時には其の車乗が腐朽衰敗し美妙ならず荘厳ならざるを見る。此等の現象を観察し、此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。如何にして衣服の事の変異無常性を観察するか。種々の衣服が此時新たに製成されたるを見、彼時は旧く毀損したるを見、此時は新鮮清浄なるを見、彼時は汚垢に満つるを見る。此等の現象を観察し、此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。

原文:雲何觀察。嚴具變異。無常之性。謂由觀見。諸莊嚴具。一時未成。一時已成。一時堅固。一時破壞。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。雲何觀察。舞歌樂事。所有變異。無常之性。謂由觀見。舞歌伎樂。現在種種。音曲差別。異起異謝。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈:如何に荘厳の具の変異無常の性を観察するのか?種々の荘厳の具を見るに、この時は未だ製成されず、彼の時には完工し、この時は堅固なりしが、彼の時には散壊す。これらの現象を観察した後、このような念想が生じる:「かくの如く諸行は、その性真に無常なり」と。如何に歌舞伎楽の事の変異無常の性を観察するのか?演奏中の歌舞伎楽を観察するに、種々の音声と曲調の差別有り、この時に起こり彼の時に滅す。これらの現象を観察した後、このような念想が生じる:「かくの如く諸行は、その性真に無常なり」と。

原文:雲何觀察。香鬘塗飾。所有變異。無常之性。謂先觀見。種種香鬘。鮮榮芬馥。後時見彼。萎悴臭爛。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。雲何觀察。資具變異。無常之性。謂觀見彼。未造已造。成滿破壞。前後變異。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈すべきこと:如何にして香鬘塗飾の全ての変異無常性を観察するか。現前に種々の香鬘が栄華艶麗で香気四方に溢れるのを見、後に香鬘が萎黄し砕け爛れ臭穢となるのを見、此等の現象を見て此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。如何にして資生の具の変異無常性を観察するか。資生の具が先に未だ造り出されず、後に打造され、使用後に再び破壊され、前後絶えず変異するを観察し、此等の現象を観た後、此の如き念想を生ず:かくの如き諸行は其の性真に無常である。

原文:雲何觀察。光明變異。無常之性。謂由觀見。種種明闇。生滅變異。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。雲何觀察。男女承奉。所有變異。無常之性。謂觀見彼。或衰或盛。不久堅住。見此事已。便作是念。如是諸行。其性無常。餘如前說。

釈:如何に光明の変異無常の性を観察するのか?種々の明暗相の生滅変異を見た後、これらの現象を観察して、このような念想が生じる:「かくの如く諸行は、その性真に無常なり」と。如何に男女の互いの恩愛の変異無常の性を観察するのか?男女の恩愛が盛から衰へ、衰から盛へと移り変わり、長久ならざることを観察した後、これらの現象を観察して、このような念想が生じる:「かくの如く諸行は、その性真に無常なり」と。

原文:如是一切。外事諸行。前之六種。是所攝受事。後之十種。是身資具事。以要言之。當知其性。皆是無常。何以故。形相轉變。現可得故。由如是等。如前所說。

釈すべきこと:かくの如き一切の外事諸行は、前辺の六種は五陰身に摂受される事であり、後辺の十種は身体が必要とする資具の事である。総じて此等の法は其の性が悉く無常である。何故に斯く説くのか。此等の法の形と相の転変は現前に観察し得るが故であり、前説の具体的に述べたる如きである。

原文:諸變異行。現見增上。作意力故。於内外事。如其所應。以變異行。觀察一切。是無常性。由是因緣。於諸變異。無常之性。現見不背。不由他緣。非他所引。隨念觀察。審諦決定。即由如是。所說因緣。說名現見。增上作意。即由如是。現見增上。作意力故。觀察變異。無常性已。彼諸色行。雖複現有。刹那生滅。滅壞無常。而微細故。非現所得。

釈すべきこと:現前観察によって此の不断に変異する諸行を観察し得る増上作意力が有るが故に、内事と外事を観察すれば変異無常の性に相応し、諸行変異の角度より一切法が無常であることを観察する。此の因縁によって、諸行の変異無常性に対し能く現前観察し、其の変異無常性に背かず。現見の意味は現量で見られることであり、内外事の一切法が無常性に相違せず、一切法の変異は他縁によって起きず、外在的因縁によって引起されるものでは無い。

内外一切法の無常性に対する観察と確認は、自らの増上作意力に随って仔細に審査し、最終的に心に決定を得る。斯かる因縁が有るが故に、現前観察を現見増上作意と説く。即ち斯かる現見増上作意力が有るが故に、諸行変異無常性を観察した後、其の色行が未だ存在するも、悉く刹那生滅し滅壊無常の法であることを了知する。此等の法は極めて微細なるが故に、現前に観察し得るものでは無いのである。

原文:故依現見。增上作意。應正比度。雲何比度。謂彼諸行。要有刹那。生滅滅壞。方可得有。前後變異。非如是住。得有變異。是故諸行。必定應有。刹那生滅。彼彼衆緣。和合有故。如是如是。諸行得生。生已不待。滅壞因緣。自然滅壞。如是所有。變異因緣。能令諸行。轉變生起。

釈すべきこと:故に現見増上作意に依り、正しく比度して色行の刹那生滅変異を知るべきである。如何にして比度するか。此の如く認知すべきである:諸行は必ず刹那の生滅を有すべきであり、色行が滅壊して初めて前後の変異を観察し得る。常住不変の状態を保ちながら変異を知るのでは無い。故に諸行は必ず刹那の生滅を有すべきであると説く。衆多の因縁和合によって初めて出現するが故に、此等の諸行は出生し、出生後諸行の滅壊を待たず、其の和合した因縁が滅すれば諸行は自然に滅壊する。故に諸行を変異せしむる全ての因縁は、諸行に転変を起こし得ると説く。

比度は即ち比量であり、現量見に依る正比度によって初めて真実の結果を得る。即ち比度の根拠は現量見であり事実である。比度の結果が初めて事実となり得、然らざれば不正比度となり、結果は真実ならず信頼し得ない。

色行は色法・色蘊の運行である。色行は現前・現量で見られるも、色法の刹那刹那の生滅変異は、禅定力と慧力が不足すれば現前に見えず、現前如実に見る所の色行に依る正比度を要する。色法が絶えず生滅滅坏するが故に、色法は存在し顕現し、色行が有り前後変異が生ずる。若し色法が変異せざれば行無く、法は存在せず。故に色行の刹那生滅変異は、現量見色を基盤とした正比度によって初めて証知正知を得るのである。

原文:此是變異。生起因緣。非是諸行。滅壞因緣。所以者何。由彼諸行。與世現見。滅壞因緣。俱滅壞已。後不相似。生起可得。非彼一切。全不生起。或有諸行。既滅壞已。一切生起。全不可得。如煎水等。最後一切。皆悉消盡。災火焚燒。器世間已。都無灰燼。乃至餘影。亦不可得。彼亦因緣。後後展轉。漸減盡故。最後一切。都無所有。不由其火。作如是事。是故變異。由前所說。八種因緣。令變生起。自然滅壞。

釈すべきこと:此れは諸行変異の現象が生起する因縁であり、諸行滅壊の因縁では無い。何故に斯く説くのか。此れは諸行と世間に現見される滅壊因縁が悉く滅壊した後、再び相似の法が生起せぬ此の現象より看取されるが、全ての法が生起せぬ訳では無い。或る諸行が滅壊した後、一切の法は生起し得なくなる。例へば水を焼くに従い漸く減少し、遂には全ての水が消失する如きである。

更に例へば三災中の火災は器世間を焼尽した後、灰燼すら存在せず、影さえ見えなくなる。此れも因縁が絶えず変異し、諸行が漸減して悉く滅尽し、最終的に一切の法が存在しなくなるが故である。器世間が滅尽するのは火災の故では無い。故に諸行変異は前説の八種因縁によって変異現象が生起し、諸行が自然に滅壊すると説く。

諸行生起の因縁は法の変異であり、法の滅壊では無い。滅壊後には法無く諸行無し。諸行滅壊も亦無常と苦を表すのである。

原文:如是比度。作意力故。由滅壞行。於彼諸行。刹那生滅。滅壞無常。而得決定。於如是事。得決定已。複於他世。非所現見。諸行生起。應正比度。雲何比度。謂諸有情。現有種種。差別可得。或好形色。或惡形色。或上族姓。或下族姓。或富族姓。或貧族姓。或大宗葉。或小宗葉。或長壽命。或短壽命。言或威肅。或不威肅。或性利根。或性鈍根。如是一切。有情差別。定由作業。有其差別。方可成立。非無作業。如是有情。色類差別。定由先世。善不善業。造作增長。種種品類。

釈:かかる比度作意力の故に、諸々の滅壊行より、諸行の刹那生滅を観察し、滅壊無常を以て、結論として「諸行は変異無常なり」と了知する。これらの事を決定した後、更に前世と後世の諸行に於いては諸行の生起を現見することが出来ない故に、正しく比度すべきである。如何に比度するのか?諸有情が現前に種々の差別を有することは観察可能であり、或いは善き相貌を有し、或いは悪しき相貌を有す。或いは高貴なる家族種姓に属し、或いは卑賤なる家族種姓に属す。或いは大いなる家族より来たり、或いは小なる家族より来たる。或いは長寿なるもの、或いは短命なるもの。或いは威厳冷肅なる語を発し、或いは威厳冷肅ならざる語を発す。或いは根性利なるもの、或いは根性鈍きもの。

かくの如く一切の有情の差別は、必ずその作った業行に差別あるが故に成立するのであり、所作の業行無きことによっては成立せざるなり。かくの如く有情の色相種類の差別は、必ず先世に造作した善業と不善業の故に、相互の種々の品類差別を増長するのである。

正比度は已に心得決定した現見に基づいて対比思量するものであり、もし現見に基づかざるならば、その対比思量は正ならざる比度となり、正ならざる比度は智慧に摂せられず、正比度こそ智慧を獲得するのである。

原文:由彼因緣。於今自體。差別生起。不應自在。變化爲因。何以故。若說自在。變化爲因。能生諸行。此所生行。爲唯用彼。自在爲緣。爲待餘緣。如是自在。方能變化。若唯用彼。自在爲緣。是則諸行。與彼自在。俱應本有。何須更生。

釈すべきこと:種々の因縁によって、今種々の諸行の自体差別が顕現する。諸行の自体差別が出現する其の原因は、自在変化に在るべきでは無い。何故に斯く説くのか。仮に自在変化が諸行を出生する因であると説くならば、此の因によって生じた諸行は、唯自體の自在を縁とするのみか、或いは更に他の縁を必要とするか、斯かる自在が変化し得るか。若し唯自體の自在を縁とするのみならば、諸行と其の自在は本来より有るべきであり、既に本来有るならば、再び出生を必要とするか。

原文:若言先有。自在體性。然後行生。是則諸行。不唯自在。爲緣生起。若言自在。隨其所欲。功用祈願。方能造化。是故亦用。欲爲因緣。非唯自在。若爾此欲。爲有因耶。爲無因耶。若言有因。即用自在。以爲因者。此則同前。所說過失。不應道理。若言此欲。更有餘因。是則如欲。功用祈願。離自在外。餘法爲因。如是亦應。一切諸行。皆用餘法。以爲其因。何須妄計。無用自在。

釈:もしもともと自在の体性が存在し、その後で諸行が生じるとするならば、このような諸行は自在を縁としてのみ生起するのではない。もし自在がその欲する所に随って、その機能作用は乞いと願いを発することによってのみ諸行を造化する必要があるならば、諸行もまた欲を因縁として出生するものであり、自在を縁とするのみではない。もしこのようであるならば、この欲は因があるのか、それとも無因で現れ作用するのか?もし因があるとするならば、自在を因とするものであり、これには以前に述べたものと同様の過失があり、この理は成り立たない。もしこの欲の現れに別の因があるとするならば、それは欲の功用と同じく、祈願によって実現されるものであり、自在を離れて別の法が生起の因として存在する。もしこのようであるならば、一切の諸行は他の法を以て生起の因とするものであり、どうして虚妄に自在を因として計着することがあろうか?

原文:由如是等。比度增上。作意力故。於有他世。諸行生起。獲得決定。如是略由。三種增上。作意力故。尋思觀察。内外諸行。是無常性。謂淨信增上。作意力故。現見增上。作意力故。比度增上。作意力故。於前所舉。能隨順修。無常五行。已辯變異。滅壞二行。

釈すべきこと:上記の比度増上作意力の故に、前世と後世における諸行の生起する此の事に対し、決定心と確定心を生起する。大略三種の増上作意力によって、内外の諸行が無常性であることを尋思観察し得る。三種の増上作意力とは、浄信増上作意力・現見増上作意力・比度増上作意力である。前段に列挙した内外の諸行に対し、能く随順して五種の無常行を修習する。以上にて変異と滅壊の二種の行を弁別し終えた。

前世と後世の五蘊無常を観行する必要有る時は、現世の五蘊を如実現量観行した上で正比度し、既に過ぎし五蘊と未だ来たらざる五蘊を観行し、以て証知を得べし。比度すべき二法は同類たるべく、異類の法は比度し難し。現前の五蘊如実観を基に正比度を行えば、過去の五蘊及び将来出現すべき五蘊を観行し、此れを以て証知を得、諸行無常に対し心に決定を生じ確認を得るのである。

原文:雲何複由。別離行故。觀無常性。謂依内外。二種別離。應知諸行。是無常性。依内別離。無常性者。謂如有一。先爲他主。非奴非使。能自受用。能敺役他。作諸事業。彼於後時。退失主性。非奴使性。轉得他奴。及所使性。於主性等。名爲別離。無常之性。

釈すべきこと:如何にして更に別離行を以て無常性を観察するか。内外二種の別離に依って、諸行が無常性であることを知るべきである。内別離無常性の意味は、もしある者が先に他人の主人であり、自らが他人の奴隷や使い走りでは無く、完全に自らを主人とし他人を諸事業に駆使できたとする。此の者が後に再び主人とならず、主人の性を退失し、非奴隷・非使い走りの性を失い、転じて他人の奴隷や使い走りの性となれば、此の者は主人の性等に対し別離無常の性と名付けられるのである。

原文:依外別離。無常性者。謂現前有。資生財寶。先未變異。未爲別離。無常滅壞。後時爲王。盜賊非愛。及共財等。之所劫奪。或由惡作。加行失壞。或方便求。而不能得。如是等類。應知是名。由別離行。知無常性。

釈:外別離無常性の意は、現存する資生財寶が当初は無傷で有りながら、後には王権に没収され、盗賊に奪われ、非縁者に掠奪され、共有財産として流失し、或いは暴力的破壊を受け、再取得不能となる現象を指す。此等の事象より別離行を通じて無常性を了知すべきである。

原文:雲何複由。法性行故。觀無常性。謂即所有。變異無常。滅壞無常。別離無常。於現在世。猶未合會。於未來世。當有法性。如實通達。如是諸行。於未來世。當有法性。如是等類。名爲通達。法性無常。

雲何複由。合會行故。觀無常性。謂即如是。變異無常。滅壞無常。別離無常。於現在世。合會現前。如實通達。如是諸行。於現在世。現前合會。如是等類。名爲通達。合會無常。彼於如是。内外諸行。五無常性。由五種行。如其所應。作意修習。多修習故。獲得決定。

釈すべきこと:如何にして更に法性の行を以て無常性を観察するか。全ての変異無常・滅壊無常・別離無常が現在世に未だ合会せず、未来世に出現すべき法性に対し、能く如実に通達する。此等の諸行が未来世に出現すべき法性、此の如き等類を、法性無常を通達すると名付ける。

如何にして更に和会行を以て無常性を観察するか。此の如き変異無常・滅壊無常・別離無常が現在世に和会現前し如実に通達される。此の如き諸行が現在世に現前和会するを、此の如き等類を和会無常を通達すると名付ける。此の如き内外の諸行の五種の無常性に対し、五種の行を以て其の為すべき所の如く作意修習する。多分に修習したが故に、無常性に対し心は決定を得るのである。

原文:如是由証成道理。及修增上故。於無常行。得決定已。從此無間。趣入苦行。作是思惟。如是諸行。皆是無常。是無常故。決定應是。有生法性。如是諸行。既是生法。即有生苦。既有生苦。當知亦有。老病死苦。怨憎會苦。愛別離苦。求不得苦。如是且由。不可愛行。趣入苦行。如是複於。有漏有取。能順樂受。一切蘊中。由結縛行。趣入苦行。

釈すべきこと:此の如く実証の理及び修行増上の故に、心中に於いて無常性に対し既に心に決定を得、此れより後は無間断に苦行の修行過程に趣入する。苦行を修習する時に、此の如く思惟する:此等の諸行は皆無常であり、無常なるが故に、決定して出生する法性を有すべきである。此等の諸行が生法である以上、生苦を有し、生苦を有する以上、老病死苦・怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦も亦存在すべきことを知るべし。此の如く暫く不可愛行を以て苦行の修習段階に入り、更に有漏有取にして楽受に随順する一切の蘊の中に於いて、結縛行を観察し苦行の修習段階に入る。

観行を以て諸行無常を証得した後、心は無間断に三苦・八苦を思惟し、苦行に趣入する。無間断に苦行に趣入するとは、意根と意識が同時に無常法に対し心に決定を得、諸行無常を確認し、更に共に諸行が苦であることを証得することを指す。

原文:所以者何。以於愛等結處。生愛等結。於貪等縛處。生貪等縛。便能招集。生老病死。愁悲憂苦。一切擾惱。純大苦蘊。如是複於。有漏有取。順非苦樂。一切蘊中。由不安隱行。趣入苦行。所以者何。有漏有取。順非苦樂。一切諸蘊。粗重俱行。苦樂種子。之所隨逐。苦苦壞苦。不解脫故。一切皆是。無常滅法。

釈すべきこと:何故に斯く説くのか。愛等の結縛処より愛等の結縛が生じ、貪等の結縛処より貪等の結縛が生ずれば、生老病死憂悲愁苦を招集し、一切の憂悩純大苦が聚集するが故である。此の如く有漏有取に在り、非苦非楽受に随順する一切の蘊の中に於いて、不安穏行を以て苦行の修習に入る。何故に斯く説くのか。有漏有取にして非苦非楽受に随順する一切の諸蘊は、粗重煩悩と共に運行し、苦楽の種子が随逐する処であり、苦苦と壊苦が解脱せざるが故に、一切法は無常の生滅法であるが故である。

原文:如是行者。於能隨順。樂受諸行。及樂受中。由結縛行。趣入壞苦。於能隨順。苦受諸行。及苦受中。由不可愛行。趣入苦苦。於能隨順。不苦不樂受諸行。及不苦不樂受中。由不安隱行。趣入行苦。如是由結縛行。不可愛行。不安隱行。增上力故。於三受中。作如是說。諸所有受。皆悉是苦。如是名爲。由無常行。作意爲先。趣入苦行。

釈すべきこと:かくの如きヨガ行者は、楽受に随順する諸行及び楽受の中に於いて、結縛行を観察することにより、壊苦行の観察に入る;苦受に随順する諸行及び苦受の中に於いて、不可愛行を観察することにより、苦苦行の観察に入る;不苦不楽受に随順する諸行及び不苦不楽受の中に於いて、不安穏行を観察することにより、行苦の観察に入る。此の如く結縛行・不可愛行・不安穏行を観察する増上作意力の故に、三種の受の中に此の如き結論を得る:全ての受は悉く苦である。此れを、最初に無常行より作意を開始し、最後に苦行の観察に入ると称する。

原文:複作是念。我於今者。唯有諸根。唯有境界。唯有從彼。所生諸受。唯有其心。唯有假名。我我所法。唯有其見。唯有假立。此中可得。除此更無。若過若增。如是唯有。諸蘊可得。於諸蘊中。無有常恒。堅住主宰。或說爲我。或說有情。或複於此。說爲生者。老者病者。及以死者。或複說彼。能造諸業。能受種種。果及異熟。由是諸行。皆悉是空。無有我故。如是名爲。由無所得行。趣入空行。

釈すべきこと:ヨガ行者は更に此の如き念想を有する:我は今唯諸根のみ有り、唯境界のみ有り、唯根境相触より出生したる諸受のみ有り、唯感受する心のみ有り、唯仮名の我及び我の所有する法のみ有り、唯知見のみ有り、唯仮立の法のみが得られる。此れを超える更に多き法は存在しない。同様に、我は唯諸蘊のみが得られ、諸蘊の中に常恒不変で堅固に住する主宰は無く、或いは我を我と説き、或いは有情と為し、或いは再び此等の法を生者・老者・病者及び死者と説き、或いは諸蘊が諸業を造り、種々の果及び異熟生を受けると説く。此の道理によって顕示される如く、諸行は悉く空であり、其中に我は存在しない。此の如くを無所得行を以て空行に趣入すると名付ける。

原文:複作是念。所有諸行。與其自相。及無常相。苦相相應。彼亦一切。從緣生故。不得自在。不自在故。皆非是我。如是名爲。由不自在行。入無我行。如是行者。以其十行。攝於四行。複以四行。了苦諦相。謂無常行。五行所攝。一變異行。二滅壞行。三別離行。四法性行。五合會行。苦行三行所攝。一結縛行。二不可愛行。三不安隱行。空行一行所攝。謂無所得行。無我行一行所攝。謂不自在行。彼由十行。悟入四行。

釈すべきこと:行者は更に此の如き念想を有する:全ての諸行は其の自体相及び無常相・苦相と相応し、諸行もまた縁より生じるが故に自在を得ず、自在ならざるが故に全て我では無い。此の如く不自在行によって無我行に入ることを名付ける。かくの如き行者は其の十種の行を以て四種の行を摂受し、更に四種の行を以て苦諦相を明らかにする。無常行は五種の行によって摂受される:一は変異行、二は滅壊行、三は別離行、四は法性行、五は和会行。苦行は三種の行によって摂受される:一は結縛行、二は不可愛行、三は不安穏行。空行は一種の行によって摂受され、即ち無所得行である。無我行は一種の行によって摂受され、即ち不自在行である。行者たちは此の十種の行によって四種の行を悟入するのである。

第二節 如何にして集・滅・道諦の相を明らかにするか

四聖諦の十六行を修習すれば、四聖諦相を明らかにすることができる。無常・苦・空・無我の四種の行を以て苦諦相を明らかにし、因・集・起・縁の四種の行を以て集諦相を明らかにし、滅・静・妙・離の四種の行を以て滅諦相を明らかにし、道・如・行・出の四種の行を以て道諦相を明らかにする。其の中、十種の行を以て苦諦を観察し、苦諦四種行への悟入については既に述べた。以下に如何にして集諦四種行を修習し集諦相を明らかにするかを説く。

原文:複由四行。於苦諦相。正覺了已。次複觀察。如是苦諦。何因何集。何起何緣。由斷彼故。苦亦隨斷。如是即以。集諦四行。了集諦相。謂了知愛。能引苦故。說名爲因。既引苦已。複能招集。令其生故。說名爲集。既生苦已。令彼起故。說名爲起。複於當來。諸苦種子。能攝受故。次第招引。諸苦集故。說名爲緣。

釈すべきこと:苦・空・無常・無我の四種の行を以て、苦諦相に対し如実に誤り無く覚悟した後、再び此等の苦諦が出現する因は何か、苦が如何に集積されたか、苦が如何に生起したか、苦が何を縁として出現したかを観察する。此の因・集・起・縁の四種の行を断除して初めて苦は断除される。故に集諦の四種の行を観察し集諦相を断除する。愛が苦を引生することを了知すれば、愛は苦因と説く。苦を引き出した後、再び招集し苦を出生せしめることを苦集と説く。苦が生じた後、苦受を現起せしめることを起と名付ける。更に未来世の諸苦種子を摂受し、次第に諸苦集を招引することを縁と名付ける。

原文:複有差別。謂了知愛。是取因故。複能招集。即以其取。爲因有故。複能生起。有爲上首。當來生故。又能引發。以生爲緣。老病死等。諸苦法故。隨其所應。當知說名。因集起緣。

釈すべきこと:四種の行の間には更に差別が有り、次第が異なる。愛が取の因であることを了知し、愛が再び招集し続け、取が後世有の因となり、以て後世の有を生起し、有を縁として後世五陰が出生し、更に生を縁とする老病死等の諸大苦聚を引き起こす。四種の行の次第に従い、それぞれ因・集・起・縁と説く。

集諦の因は愛である。愛が有れば取を生じ、取得したか否かに拘わらず苦相が有り、後世の有が生じた後、生相が現れ苦相が出現する。苦の根源である貪愛を断除して初めて苦を断ずる。愛の因は受であり、受の因は触である。触と受が有り得るが、触と受の際に貪愛が無く、触れ受けし所に心無ければ、後世の苦は出現せず、集諦は滅する。今の愛が苦を引き起こす因であるが故に、愛の集起は苦を出生せしめ、愛集は即ち苦集である。苦が生じた後、苦受が現起する。これを苦起と称する。愛が未来の苦種子を摂受し、愛の招集する所は全て苦種子であり、未来の苦を生じ得る。愛・取・有・生・老が次第に諸苦の集起を招引するが故に、愛は苦の縁である。

集諦は十二因縁の中の一環節に属し、解脱の道に於いて声聞法と縁覚法は互いに含摂し、共通の処が有る。独立した縁覚法も無く、独立した声聞法も無い。唯二種の法が関わる層次の深浅に差別が有るのみで、解脱に違いは無いのである。

原文:複有差別。謂正了知。煩惱隨眠。附屬所依。愛隨眠等。是當來世。後有生因。又正了知。彼所生纏。隨其所應。是集起緣。謂後有愛。能招引故。即是其集。此後有愛。複能發起。喜貪俱行愛。此喜貪俱行愛。複與多種。彼彼喜愛爲緣。如是依止。愛隨眠等。及三種纏。能生後有。及能發起。諸愛差別。是故說名。因集起緣。如是行者。由四種行。了集諦相。

釈すべきこと:四種の行には更に差別が有る。正しく如実に煩悩随眠が愛随眠に附属することを了知し、愛随眠を依り所として初めて煩悩随眠が存在し、愛無ければ煩悩無く、愛もまた煩悩の因であり、愛を断ずれば即ち煩悩を断ずる。而して愛随眠は未来世の三有出生の因である。正しく愛随眠より生じた煩悩纏縛を了知し、其の一一に相応するものは集・起・縁の三行である。煩悩纏縛は苦の種子を集起し、苦を現行せしめ、苦受を生起する縁となる。

煩悩随眠が後有を招引する愛の故に、煩悩随眠は後有の愛を集聚し、更に喜と貪と共に運行する愛を発起する。此の喜貪俱行愛はまた種々の愛着の縁となる。此の如く愛随眠等を依り所とし、及び三種の纏縛を以て、後世の有を出生し、並びに種々の愛の差別相を発起する。故に因・集・起・縁の四種の行と説く。愛随眠が存在すれば煩悩纏縛・喜纏縛・貪纏縛が有り、此の三種の纏縛が存在すれば、後世の有は必ず出生し、有が出生すれば苦が出生する。斯くして行者は四種の行を以て集諦相を明らかにするのである。

原文:於集諦相。正覺了已。複正覺了。如是集諦。無餘息滅。故名爲滅。一切苦諦。無餘寂靜。故名爲靜。即此滅靜。是第一故。是最勝故。是無上故。說名爲妙。是常住故。永出離故。說名爲離。如是行者。由四種行。了滅諦相。

釈すべきこと:集諦相を正しく如実に明らかに覚悟した後、更に正しく如実に滅諦の四種の行を覚悟しなければならない。集諦が完全に滅尽し息滅した時、滅と名付けられる。集諦は再び集起せず、苦は滅する。一切の苦諦が滅し再び余苦無き時、寂静となる。五蘊の造作も無く五蘊の受苦も無きを静と名付ける。此の如く苦諦が息滅寂静すれば、世間に於いて第一であり、最勝であり、無上であるから妙と説く。苦諦が息滅した後余苦無く、苦が再び生じない此の状態は永遠に存在し、永遠に苦を出離した故に離と説く。斯くしてヨガ行者は滅・静・妙・離の四種の行を以て滅諦相を明らかにする。

滅・静・妙・離の四種の行を以て滅諦相を明らかにする。苦が滅するのは集が滅し、再び苦行を集起せぬが故である。五蘊身の身口意行は全て苦行であり、特に悪・不善の身口意行は然り。心が五蘊世間法に攀縁せず、再び苦を集めず、寂静を得る。心が寂静を得た後、自在解脱する。此れは世間に於いて奇妙美妙である。何故なら世間は普遍的に攀縁と苦に満ち、寂静せず自在解脱せぬ故に生命は妙ならず。解脱自在の生命は世間に於いて第一殊勝・最殊勝であるから美妙である。苦を滅し解脱した後、再び苦を受けること無く、解脱は永遠の解脱であり、無明煩悩の境界に戻らず、永遠に苦を離れる。故に離と称する。斯くして滅諦相は滅・静・妙・離の四種の行を以て極めて明瞭に顕現されるのである。

原文:於滅諦相,正覺了已。複正覺了,真對治道。於所知境。能通尋求義故。能實尋求義故。由於四門,隨轉義故。一向能趣。涅槃義故。所以說名。道如行出。如是行者。由四種行。了道諦相。如是名爲。於四聖諦。自内現觀。了相作意。

釈すべきこと:行者が滅諦相を如実に正しく覚悟した後、最後に更に如実に正しく真に対治苦として修する道を覚悟し、初めて苦を滅し解脱を得る。所知境に対し、能く普遍的に其の真実義を尋求し、能く如実に其の真実義を尋求するが故に、如と名付けられる。修道の過程に於いて、其の身口意の諸行が四聖諦理に随順し、絶えず転変清浄することを行と名付ける。修道の後、心行が漸く寂静し漸く滅し、涅槃に趣向し生死を出離することを出と名付ける。斯くしてヨガ行者は道・如・行・出の四種の行を以て道諦相を明らかにする。此れを四聖諦に対し内心より現観する了相作意と称するのである。

真の対治道とは何か。道とは方式・方法・経路を指し、対治とは心中の貪瞋痴無明煩悩に対治することを指す。無明は苦を知らず苦集を知らざるが故に、此の不知に対治し知に転ずる。苦を滅し集を断ずる為に修する道を道と名付け、苦を滅する過程が即ち修道であり、戒定慧・三十七道品を修し、四聖諦を思惟観行する。此れが道行である。

如行とは、心を苦空無常無我の真理・法理に相応せしめ、所知境たる四聖諦法に対し能く通達し深く其の真実理を思惟し、能く如実に其の法理を思惟観行し、所知境の内包正理を了達し、以て四聖諦真理を証得することである。行行とは、如行に於いて無明を断ずる基礎の上に、心行が転変し、其の所有する心行が認知した真理に随順し、苦空無常無我真実理に相違しないことを指す。出行とは、修道を以て煩悩を断除し、身口意行清浄となり、再び五蘊世間に攀縁せず寂静無為となり、身心解脱し涅槃に趣向し相応し、三界を出離し生死輪廻苦を解脱することを指す。

道・如・行・出の四種の行を以て道諦を明らかにする。上記四種の行より知る如く、修道の過程に於いて戒定慧が増長し、五蘊世間の認知が真実理に契合し、無明が薄らぎ煩悩が軽減し、心行が聖道に相違せず、身心世界が漸次転変し、清浄がある程度に至り道に相応し聖賢に相応すれば、聖道を証得する。証果後に初めて徐々に身心を転変させるのでは無く、若し身心を聖賢に相応するまで転変せしめざれば聖賢となることはできない。恰も学生が試験に合格せざれば入学できぬが如き理である。

第三節 法智・類智と現観智

原文:彼既如是。於其自内。現見諸蘊。依諸諦理。無倒尋思。正觀察已。複於所餘。不同分界。不現見蘊。比度觀察。謂彼所有。有爲有漏。遍一切處。遍一切種。於一切時。皆有如是法。皆墮如是理。皆有如是性。彼所有滅。皆永寂靜。常住安樂。彼所有道。皆能永斷。究竟出離。

釈すべきこと:ヨガ行者は既に此の如く自らの内身に現前観見する五蘊に基づき、四聖諦の理に顛倒無く尋思し、正しく観察した後、更に他の異なる分界に在り現前観察できない五蘊に対し比度観察を行う。五蘊中の全ての有為法・有漏法は一切処に遍く一切の種子に遍く、一切時に於いて現前観察された法と同様に、全て四聖諦の理に摂属し、苦・空・無常・無我の性質を有する。此等の法は全て生滅するものであり、滅した後は永遠に寂静となり、寂静後は永遠に常住し安楽となり、世間の全ての道は永遠に断滅し、究竟して世間苦を出離するのである。

原文:當知此中。若於現見。諸蘊諦智。若於所餘。不同分界。不現見境。比度諦智。即是能生。法智類智。種子依處。

釈すべきこと:此等の法の観察に於いて、もし現前に存在する五蘊に対し如実に観察し、現量で四聖諦の真実理を証見すれば、法智が出生する。これは法智の種子の依り所となる。もし現前に存在する法以外の余り、現前せざる五蘊法に対し、比度観察を行い証見の智慧が出生すれば、類智となる。これは類智の種子の依り所となる。

此処では法を証得する二種の方式を説く。一は現在存在する五蘊の如実観察、二は非現在存在する五蘊の比度観察。両観察共に諦智を得られる。非現在存在する五蘊とは何か。これは現在の此の時点以前及び以後の五蘊を指す。今日の五蘊が現前するならば、昨日以前の五蘊と明日以後の五蘊は非現在の五蘊となり、現在の五蘊と時間点を異にするが、五蘊の性質・特徴は同一であり、同類に属し、共通性と比較可能性を有する。

今年の五蘊が現在の五蘊であるならば、昨年以前の五蘊と来年以後の五蘊は非現在の五蘊となる。今世の五蘊が現前する五蘊であるならば、前世と後世の五蘊は現前せざる五蘊となる。此れを推して、三大阿僧祇劫の五蘊も現在の五蘊と同一の属性を有し、或いは無始劫以前より無始劫以後に至る五蘊まで、全て共通の属性・性質・特徴を有し、同類に属し比度可能である。

正しき比度は法智と類智を出生させる。現前存在する五蘊に対する正確な如実観察を基盤とし、更に非現前存在する其余の五蘊を比度観察すれば、法智と類智が出生し、見道の無生智を得る。分界とは過去と未来の異なる時期の法と現在の法の境界・分割を指す。法と法に境界が有る故に、法を観察する方式も異なり、獲得する智慧の種類も異なる。現見可能な法は現量観察し、現見不可能な法は比度観察する。観察が正確如実であれば、諦智と無生忍を得るのである。

原文:又即如是。了相作意。當知猶爲。聞思間襍。若觀行者。於諸諦中。如是數數。正觀察故。由十六行。於四聖諦。証成道理。已得決定。複於諸諦。盡所有性。如所有性。超過聞思。間襍作意。一向發起。修行勝解。此則名爲。勝解作意。如是作意。唯緣諦境。一向在定。於此修習多修習故。於苦集二諦境中。得無邊際智。

釈すべきこと:上記に述べた此の了相作意は、依然として間雑した聞思の智慧に属する。もし観行者が四聖諦の中に於いて、此の如く絶え間無く正観察すれば、十六行による四聖諦の証成道理を以て、既に心に決定を得る。更に四聖諦の尽所有性及び如所有性に対し、間雑した聞思作意を超え、絶えず修行勝解を発起することを、勝解作意と名付ける。此の如き作意は、唯真実境界に縁り、絶えず定中に在り、勝解作意を修習し且つ勤修したが故に、苦諦と集諦の二種の境界に於いて無辺際智を得るのである。

四聖諦に対し心に決定を得る前の了相作意は、聞思が交雑し、純粋なる正観察では無く、無間断なる観察でも無い。もし無間断に正観察し得れば、初めて四聖諦に対し心に決定を得る。心に決定を得た後、初めて勝解し、勝解した後、初めて証得する。四聖諦の尽所有性とは四聖諦が覆う範囲を指し、如所有性とは四聖諦理に符合する全ての性を指す。もし観察が無間断なる正観察であれば、間雑した聞思段階を超え、此の時に四聖諦に対する勝解を発起し、勝解作意と称される。もし絶えず禅定を保持し禅定を失わず、心が唯四聖諦に縁り他縁無き場合、此の如き作意観察は無辺際智を得ることができるのである。

原文:由此智故。了知無常。發起無常無邊際勝解。如是了知苦等。發起苦無邊際勝解。空無我無邊際勝解。惡行無邊際勝解。往惡趣無邊際勝解。興衰無邊際勝解。及老病死愁悲憂苦。一切擾惱無邊際勝解。

釈すべきこと:無辺際智が有るが故に、諸行が無常であることを了知し、無常法に対する無辺際勝解を発起する。かくの如く苦・空・無常・無我等を了知すれば、苦無辺際勝解・空及び無我無辺際勝解・悪行無辺際勝解・悪趣往無辺際勝解・興衰無辺際勝解・並びに老病死憂悲悩苦一切の憂悩無辺際勝解を発起するのである。

原文:此中無邊際者。謂生死流轉。如是諸法。無邊無際。乃至生死。流轉不絕。常有如是。所說諸法。唯有生死。無餘息滅。此可息滅。更無有餘。息滅方便。即於如是。諸有諸趣。死生法中。以無願行。無所依行。深厭逆行。發起勝解。精勤修習。勝解作意。

釈すべきこと:無辺際の意味は、生死流転の如き諸法が果てしなく際限無きことであり、生死流転が断絶しないことを指す。上記の如き諸法は常に有るが、唯生死のみが息滅され得、再び遺余が無い。此の息滅され得る法には、更に他の息滅方便法が存在しない。此の如き三有六道の生死法の中に於いて、無願行・無所依行・深き厭逆行を以て、勝解を発起し、精勤に勝解作意を修習するのである。

原文:複於如是。諸有諸生。增上意樂。深心厭怖。及於涅槃。隨起一行。深心願樂。彼於長夜。其心愛樂。世間色聲香味觸等。爲諸色聲香味觸等。滋長積集。由是因緣。雖於涅槃。。深心願樂。而複於彼。不能趣入。不能証淨。不能安住。不能勝解。其心退轉。於寂靜界。未能深心。生希仰故。有疑慮故。其心數數。厭離驚怖。雖於一切。苦集二諦。數數深心。厭離驚怖。及於涅槃。數數發起。深心願樂。然猶未能。深心趣入。

釈すべきこと:更に上記の如き諸有・諸生死法に対する増上意楽に於いて、内心の深き処より厭離し恐怖し、涅槃によって生起する如何なる行に対しても、内心の深き処より楽願を有する。行者は生死の長夜において、内心世間の色声香味触等の法を愛楽し、此等の色声香味触等の法のために苦諦を滋長し積集して来た。

此の因縁によって、今や深く涅槃を願楽するも、涅槃に趣入できず、清浄法眼を証得できず、四聖諦に安住できず、四聖諦を勝解することもできない。其の心は寂静界より退転し、何故ならば涅槃に対する深き希冀と景仰を内心より生じ得ず、内心に疑慮を有するが故に、繰り返し生死を厭離し恐怖する。此の如き者は一切の苦諦・集諦の修習に於いて、数度に亘り深く生死を厭離し驚怖し、涅槃に対し数度に亘り深き願楽を発起するも、依然として深く涅槃に趣入することができないのである。

原文:何以故。以彼猶有。能障現觀。粗品我慢。隨入作意。間無間轉。作是思惟。我於生死。曾久流轉。我於生死。當複流轉。我於涅槃。當能趣入。我爲涅槃。修諸善法。我能觀苦。真實是苦。我能觀集。真實是集。我能觀滅。真實是滅。我能觀道。真實是道。我能觀空。真實是空。我觀無願。真是無願。我觀無相。。真是無相。如是諸法。是我所有。

釈すべきこと:何故に深く生死を厭怖し涅槃を願楽するも、涅槃に趣入できず、甚至勝解も涅槃の法に安住することもできないのか。何故ならば行者には未だ現量観行を障碍する粗なる我慢が有り、観行の深化に随って有間断或いは無間断の作意が生起し、心に此の如く思惟するが故である:我は久遠より生死に流転して来た、我は生死の中で更に流転を続ける、我は将来涅槃に趣入するであろう、我は涅槃の為に諸善法を修習する、我は苦諦が真に苦であることを観察できる、我は集諦が真に集起することを観察できる、我は滅諦が真に滅することを観察できる、我は道諦が真に道であることを観察できる、我は空が真に空であることを観察できる、我は無願が真に無願であることを観察し、我は無相が真に無相であることを観察する。かくの如き諸法は我が具える所のものであると。

原文:由是因緣。雖於涅槃。深心願樂。然心於彼。不能趣入。彼既了知。如是我慢。。是障礙已。便能速疾。以慧通達。棄捨任運。隨轉作意。制伏一切。外所知境。趣入作意。隨作意行。專精無間。觀察聖諦。隨所生起。心謝滅時。無間生心。作意觀察。方便流注。無有間斷。彼既如是。以心緣心。專精無替。便能令彼。隨入作意。障礙現觀。粗品我慢。無容得生。

釈すべきこと:行者が此の如き観念を心中に有するが故に、彼は涅槃に対し深く愛楽し得るも、心は涅槃に趣入できず、何故ならば粗重なる我慢が遮障の作用を有するが故である。行者が此の上記の我慢が涅槃趣入の障碍であることを了知した後、速やかに智慧を以て通達し、以て我慢の遮障を除去し、従前の心の随意に生じた我慢を捨離し、その後作意を運転し、心の触れる一切の外境を制伏し、観行作意に転入し、作意に随って転じ、一心に精勤無間断に四聖諦を観察する。生起した我慢心の滅するに随い、心は無間断なる作意観察の上に生起し、心識は無間断に四聖諦観察の中に流注する。行者は此の如く智慧心を以て無間作意に縁り、専心精進して他を顧みず、四聖諦作意に浸染する。斯くして現量観行を障碍する粗重なる我慢が生起する機会は無くなるのである。

原文:如是勤修。瑜伽行者。觀心相續。展轉別異。新新而生。或增或減。暫時而有。率爾現前。前後變易。是無常性。觀心相續。入取蘊攝。是爲苦性。觀心相續。離第二法。是爲空性。觀心相續。從衆緣生。不得自在。是無我性。如是名爲。悟入苦諦。

釈すべきこと:かくの如く精勤にヨーガを修習する行者は、自心の相続不断なる流転変易を観察し、心に新たに一種の法が生じ、次の瞬間にはまた新たに別の法が生じ、絶えず変化し、その心意は時に増加し時に減少し、全てが暫時的に有り、刹那現前し、過ぎれば変わり、此の如き前後変易する心は無常性であることを知る。再び自心の相続不断を観察し、取る所の有ることを知り、取蘊によって摂受されていることを観じ、これは苦性である。再び自心の相続不断を観察し、心が如何なる一法にも属さず、其の心が空であるが故に空性であることを知る。再び自心の相続不断を観察し、衆多の因縁和合から生じ、自在を得ざるが故に無我性であることを知る。此の如くにして苦諦を悟入する。無常・苦・空・無我、これを苦諦と名付ける。

原文:次複觀察。此心相續。以愛爲因。以愛爲集。以愛爲起。以愛爲緣。如是名爲。悟入集諦。次複觀察。此心相續。所有擇滅。是永滅性。是永靜性。是永妙性。是永離性。如是名爲。悟入滅諦。次複觀察。此心相續。究竟對治。趣滅之道。是真道性。是真如性。是真行性。是真出性。如是名爲。悟入道諦。

釈すべきこと:再び此の心の相続不断を観察し、愛を以て因と為し、愛を以て集と為し、愛を以て起と為し、愛を以て縁と為すことを観察し、此の理を悟入することを集諦の悟入と名付ける。再び此の心の相続不断を観察し、全ての選び出された生滅法が永遠の滅尽性を具え、永遠の寂静性を具え、永遠の微妙性を具え、永遠の離性を具えることを観察し、此の如きを滅諦の悟入と名付ける。再び此の心の相続不断を観察し、能く徹底的に一切の煩悩に対治し、寂滅に趣向する道が真の道性であり、真の如性であり、真の行性であり、真の出離性であることを観察し、此の如きを道諦の悟入と名付ける。

原文:如是先來。未善觀察。今善作意。方便觀察。以微妙慧。於四聖諦。能正悟入。即於此慧。親近修習。多修習故。能緣所緣。平等平等。正智得生。由此生故。能斷障礙。愛樂涅槃。所有粗品。現行我慢。

釈すべきこと:従前未だ善く四聖諦を観察せず、今や善く作意を以て方便観察を為し、微妙なる智慧を以て四聖諦理に正しく如実に悟入すべきである。親近し修習するが故に、此の微妙なる観察智慧を多分に修習したが故に、能縁智と所縁の法が平等平等となり、正智が初めて出生する。正智が出生したが故に、涅槃を愛楽することを障碍する全ての粗重なる現行我慢を断除するのである。

原文:又於涅槃。深心願樂。速能趣入。心無退轉。離諸怖畏。攝受增上。意樂適悅。如是行者。於諸聖諦。下忍所攝。能緣所緣平等。平等智生。是名爲暖。中忍所攝。能緣所緣平等。平等智生。是名爲頂。上忍所攝。能緣所緣平等。平等智生。名諦順忍。

釈すべきこと:更に涅槃に対し深く愛楽し、速やかに趣入し、心退転せず、一切の怖畏を離れ、内心に増上意楽を生起し、安楽愉悦する。かくの如く修行する行者は四聖諦の修習過程において、下忍位に属する。能縁の心と所縁の法が平等であり、平等智が出生し、暖位と名付けられ、中忍位に属する。能縁の心と所縁の法が平等であり、平等智が出生し、頂と名付けられ、上忍に属する。能縁の心と所縁の法が平等であり、平等智が出生し、諦順忍と名付けられる。

此処では涅槃に対する安忍を上中下の三品に分ける。下品忍は四加行中の暖位に位置し、中品忍は四加行中の頂位に位置し、上忍は諦順忍と称され四加行中の忍位に位置する。暖位に在る行者は心が涅槃に趣向し、涅槃法の修習に対し退転せず、涅槃法に増上意楽を生起し怖畏を離れ功徳受用を得たが故に、後の一切の修習過程に於いて退転せず、乃至我見を断じ初果を得た後は更に涅槃の道に退転しない。四加行位の功徳受用は初果の功徳受用と大きく異なり、初果と二果、乃至二果と三果四果の功徳受用も全て大きく異なる。故に功徳受用を誤解せず、四加行の功徳受用を初果二果の功徳受用と誤認し、未証言証の大妄語を生ぜぬ様注意すべきである。

原文:彼既如是。斷能障礙。粗品我慢。及於涅槃。攝受增上。意樂適悅。便能捨離。後後觀心。所有加行。住無加行。無分別心。彼於爾時。其心似滅。而非實滅。似無所緣。而非無緣。又於爾時。其心寂靜。雖似遠離。而非遠離。又於爾時,非美睡眠。之所覆蓋。唯有分明。無高無下。奢摩他行。

釈すべきこと:行者が此処まで修習し、観行を障碍する粗重なる我慢を断除し、涅槃に対し更に増上意楽と愉悦快樂を生起すれば、後続の観心の全ての加行を捨離し、加行無き無分別心中に住する。此の時、行者の心は滅した如く見えるが実際は未だ滅せず、何も攀縁せぬ如く見えるが決して攀縁無きに非ず。行者は又或る時其の心寂静にして、六塵境界から遠離した如く見えども実は未だ遠離せず。行者は此の時心に尚睡眠蓋障が有り、睡眠は未だ軽やかならず香美無夢に至らず、唯非常にはっきりとした高下無きシャマタ行のみが存在する。

ヨーガを修習する行者は、現観を障碍する粗重なる我慢を断除し涅槃に増上意楽を生起した後、努めて加行の功夫を行わず、此の時心に分別無き如く感じ、滅した如く見えるが実際は未だ滅せず、心は何も思わぬ如く見えるが実は想い有り、心が塵境から遠離した如く感じるが実は未だ遠離せず、且つ此の時睡眠蓋障は未だ消除されず、睡眠は尚重く清明を得ず、分明なる無相心のみ有り、法の高下を取らず、禅定に住し四念処四聖諦を観ぜず。

原文:複有一類。闇昧愚癡。於美睡眠。之所覆蓋。其心似滅。非實滅中。起增上慢。謂爲現觀。此不如是。既得如是。趣現觀心。不久當入。正性離生。即於如是。寂靜心位。最後一念。無分別心。從此無間。於前所觀。諸聖諦理。起内作意。此即名爲。世第一法。從此已後。出世心生。非世間心。此是世間。諸行最後。界畔邊際。是故名爲。世第一法。

釈すべきこと:更に或る類の者は昏昧愚痴であり、香美なる睡眠に覆われ、其の心は滅した如きであるが、実際は真に滅したのでは無く、斯くして増上慢を生じ、此れが現量観察であると考えるが、実はそうではない。此の者は既に此の如き趣向現量観察の心を獲得した後、間も無く正性離生に入るべきである。此の如き其の心が滅したに非ず滅せざるに似た寂静心位の中に、最後の一念無分別心が有り、此れより後は無間断に従前観た四聖諦理に対し内在作意を生ずる。これを世第一法と称する。此れより後は出世間の心が生起し、再び世間心は無く、これは世間の諸行における最後の限界边际である。故に世第一法と名付けられる。

此の段文は極めて重要であり、証道前の最終段階の心理状態及び証道前の最終修習方法を述べ、世第一法と証道の間の差別相を明示する。証道前に於いて四加行位の最終位たる世第一法位に在る時、此の位に於いて睡眠蓋障が微細となり、睡眠が極めて軽微で清明となり、半睡半醒の間に在り、睡眠中も心は清明で昏昧ならず、身体は極めて安適である。故に修道の遮障が小さい。心は滅した如く分別無きが、尚分別性を有し滅したのでは無く、ただ了別が微細で有るか無いかである。斯くして愚痴蒙昧の者は増上慢を生じ、自らが無心となり現観を得たと錯覚するが、実際はそうではない。

然しながら現観から遠からず、若し精進を継続すれば間も無く生死を離れた正位、即ち此の如き寂静心位に証入する。此の中に尚最後の一念無分別心が有り、此の一念無分別心を以て、此れより後は無間断に従前観行した四聖諦理に対し内在作意を生ずる。これを世間第一法と名付ける。此れより後は出世間の心が生起し、世間心は断滅する。これは世間に於ける諸行の最後の出世間との限界・辺畔であり、斯くの故に世間第一と称されるのである。

原文:從此無間。於前所觀。諸聖諦理。起内作意。作意無間。隨前次第。所觀諸諦。若是現見。若非現見。諸聖諦中。如其次第。有無分別。決定智現見智生。由此生故。三界所系。見道所斷。附屬所依。諸煩惱品。一切粗重。皆悉永斷。

釈すべきこと:此れより無間断に従前観行した四聖諦の理に対し、内在する作意を生起し、作意が間断無く、従前の次第に観行した四聖諦、或いは現量に見たもの、非現量に見た四聖諦の中に随い、其の次第に有るか無きかを分別した後、決定智と現見智が出生する。決定智と現見智が出生した後、三界に繋縛されたる見道の断ずべき、心の依り所に附属する一切の煩悩品類中の粗重なる部分が、全て永遠に断除される。

此の段は見道の部分を説く。四加行を経た後、再び間断無く作意観察すれば智慧が出生し、決定を下し四聖諦の苦集滅道の理を確認する。同時に現量見の法智が出生し、我見を断じて初果を証得する。見道により初果を証得する同時に、一切の粗重なる煩悩が全て永遠に断除され、再び生起しない。故に若し粗重なる煩悩が依然存在し、煩悩が一見重く見える場合、未だ見道初果を証得していないことを示す。此れにより、一人の身口意行の表現が其の見道の有無を充分に説明し得る。外見的に身口意行が清浄に見える場合でも必ずしも見道したとは限らぬが、見道した者の身口意行は必ず清浄であり、粗重なる煩悩を有さない。

原文:此永斷故。若先已離。欲界貪者。彼於今時。既入如是。諦現觀已。得不還果。彼與前說。離欲者相。當知無異。然於此中。少有差別。謂當受化生。即於彼處。當般涅槃。不複還來。生此世間。若先倍離。欲界貪者。彼於今時。既入如是。諦現觀已。得一來果。若先未離。欲界貪者。彼於今時。既入如是。諦現觀已。粗重永息。得預流果。

釈すべきこと:粗重なる煩悩が永遠に断除されたが故に、もし先に既に欲界貪愛を離れた者が有るならば、今の時に於いて、此の如き四聖諦現量観行を悟入した後、三果不還果を獲得する。この者は前述の離欲者の相貌と差異無きことを知るべきである。但し両者の間には尚些細な差別が存在し、即ち後世に五不還天に化生を受ける三果人は、受生せんとする処に直ちに入涅槃し、再び此の世間に受生しない。

もし先に欲界貪愛を離れるに近き者が有り、既に部分的な欲界貪愛を断除した者が有るならば、此の時に於いて、此の如き四聖諦現量観行を獲得した後、二果一来果を獲得する。もし先に未だ欲界貪愛を離れざる者が有るならば、今の時に於いて、此の如き四聖諦現量観行を獲得した後、粗重なる煩悩が永遠に息滅し、初果を獲得する。

以上の弥勒菩薩の述べられた所によれば、初果を証得した者は未だ欲界貪を離れずとも、粗重なる煩悩は永遠に断除息滅し、微細なる煩悩は依然として存在する。後の修行に依って漸次に断除息滅し、四果に至り一切の現行煩悩を断尽する。初果より四果に至るまで全て四聖諦を現量観行し得るが、其の福徳・煩悩・禅定・観行智慧等に差別が有る故に、獲得する智慧に差別が生じ、果位にも差別が生ずる。

三果人は欲界貪愛煩悩を断除し、受生処或いは中有において直ちに無余涅槃を取得する能力を有する。即ち煩悩を断除した心解脱の聖者である。初果及び二果は未だ異なる欲界貪を有し、心が欲界より解脱せず、故に心解脱の聖者ではなく賢人に属する。

原文:由能知智。與所知境。和合無乖。現前觀察。故名現觀。如刹帝利與刹帝利。和合無乖。現前觀察。名爲現觀。婆羅門等。當知亦爾。此亦成就。衆多相狀。謂証如是。諦現觀故。獲得四智。謂於一切若行。若住諸作意中。善推求故。得唯法智。得非斷智。得非常智。得緣生行。如幻事智。

釈すべきこと:真諦法を知る智慧によって、知るべき四聖諦の理と和合し、両者に乖離が無いこのような現前観察を、現観と称する。譬えばクシャトリヤがクシャトリヤと和合し乖離せず相違逆しない如く、このように現前観察することを現観とし、現前観察する婆羅門もまた此の如きである。現観はまた衆多の種相を成就し、此の如き諦現観を証得すれば四智を得、一切の苦行に於いて、もし全ての作意の中に住して善く推求観行すれば、唯法智・非断智・非常智・縁生行が幻事の如き智を得る。

能知智とは、法を見て知り証する六・七識を指し、如実の観察智慧を具える。所知境とは六・七識が観察する理法を指し、四聖諦理や般若の法等がこれに当たる。智と境が和合し違逆せず、このような現前観察を現観と称する。もし真実の理法を観察できず、或いは観察する所が真実の理法に非ざる場合、智と境が相応せず、現前観察とはならず、現観と称されない。

和合無乖・不相違逆は主に六・七識の智慧境界、或いは智慧層次に在り、智慧が正しく法を観察認知すれば理法と乖離せず、且つ現前観察であり、揣摩や推理想象分析では無く、現前に存在する法が事実の如くに現量観察・現量認知される。これを現観と称する。現観の時に法を証得し、法智と類智を得る。現観で無い場合は法智と類智が無く、果証も無い。

如何にして法に対する現前観察と非現前観察を区別するか。例へば苦諦を観察し、五蘊が苦であると感ずる場合、現前観察によって五蘊が苦であることを知れば、内心の苦に対する認知が深く、時処を超え心心念念に五蘊の苦を感知し、且つ心心念念に苦を逃れ滅ぼさんとする心態が無間作意を形成し、間断無い。無間作意とは意根が生起させる作意であり、意根が苦を感知したことを意味し、単に意識表面に留まらない。これが現前観察の結果である。

非現前観察の苦は無間作意を形成せず、断続的で時有り時無く、頻りに苦を忘れ、楽を追求し、出離心が強くなく、覚悟性が低く、行動力も劣る。楽境が現前すれば自らを見失い、楽境に深く陥り苦を知らず、将来への希冀が依然大きく、楽を得て保持せんと妄想する。此の如く苦を感じつつ楽を追求し、心と行為が相違する状態こそ非現前観察の苦である。非現観の者は弁別する智慧力が不足し、往々にして自己の此の状態を現量観察・実証と誤解するが、実は実証とは未だ遠く隔たっている。

非現前観察の者の普遍的特徴は、煩悩が除かれず無明が断たれず、言行が一致せず表裏不同で、口では東を指し西へ向かい、空を説き乍ら行為は処々に有に執着し、一処として空ならず、無我を説き乍ら時処を超えて我であり、隠蔽すら叶わぬ。実証が無い故に実証後の身心境界を知らず、自らの所思所為が実証境界と相反することを知らぬ。故に凡夫の特徴を覆い隠すことが根本的に不可能である。

原文:若行境界。由失念故。雖起猛利。諸煩惱纏。暫作意時。速疾除遣。又能畢竟。不墮惡趣。終不故思。違越所學。乃至傍生。亦不害命。終不退轉。棄捨所學。不複能造。五無間業。定知苦樂。非自所作。非他所作。非自他作。非自非他。無因而生。

釈すべきこと:現観四智を具える行者は、初果を証得する前に、もし境界の中に身を置く場合、暫時の失念の故に、猛烈なる諸煩悩纏縛が生じたとしても、暫時作意するだけで速やかに纏縛を除遣でき、且つ畢竟して悪道に堕ちず、永遠に故意に修学に相違する法を思考せず、乃ち畜生の性命すらも害さず、永遠に修学した法を退転し棄捨せず、再び五無間の悪業を造作できず、苦楽が苦楽自性の作るところではなく、大自在天等の作るところではなく、苦楽自性と大自在天等の共同作るところではなく、また苦楽自性の作る所でなく大自在天等の作る所でない無因から生じるものでないことを確定して知る。

これは行者が四加行の世第一法段階に在る時の功徳受用であり、初果を証得する前から既に猛力なる諸煩悩纏縛を迅速に除遣する能力を有し、悪道に堕ちず、四聖諦解脱道に退転せず棄捨しない。見道前の四加行の功徳も甚だ大きく、見道後の功徳受用は更に大きく、解脱智慧は実に殊勝なるものであることが分かる。

原文:終不求請。外道爲師。亦不於彼。起福田想。於他沙門。婆羅門等。終不觀瞻。口及顔面。唯自見法得法。知法得法。証法源底。越度疑惑。不由他緣。於大師教。非他所引。於諸法中。得無所畏。終不妄計。世瑞吉祥。以爲清淨。終不更受。第八有生。具足成就。四種証淨。如是行者。乃至世第一法已前。名勝解作意。

釈すべきこと:終に外道を師と帰依せず、また外道に対し福田の想いを生ぜず、他の沙門や婆羅門等に対し、永遠に彼らの顔を仰ぎ見ず、彼らの顔色を窺わず、彼らの説く所を重んじず、彼らの口より法を得ず、ただ自ら独り法を見て法を得る。独り法を見て法を得、法の底源(根本)を証得し、全ての疑惑を解除し、外の因縁によるものではない。法の底源を証得し得ることは、世尊という善知識の教導による故であり、世尊以外の他処より引き来たされたものではない。行者は諸法に於いて畏れる所無く、終に虚妄に世間の種々なる瑞兆や吉祥を清浄と計着せず、永遠に再び第八度三界世間に受生せず、四種の証得した清浄智を具足成就する。かくの如き行者は、世第一法に至るまでの修において、全て勝解作意と名付けられる。

行者が四智現観を獲得した後、四加行を修習し、第四加行の世第一法以前の観行は全て勝解作意と称される。意味は現量実証以前の思考参究は全て法に対する勝解と領悟と称すべきであり、勝解した後に初めて現量観察を得、実証と名付けられる。実証は初果位以上に在り、勝解は初果向あるいは四加行の世第一法位の中に在り、四加行を経て初めて実証見道が可能となる。故に如実に自己の智慧を観察し、現量観察智か勝解か、あるいは推測推理分析等かを了知し、自己の智慧の階層を理解した上で、次の修行を計画すべきである。

現観四智を具える行者は、決して他処より法を得ず知らず、他人の説く所を究竟の帰依処とせず、全て自己の現量観察に依って実証し、法を見て得る事は自力の参究観行にのみ依り、他人の助力は無用である。他人が指し示し教える所も、自己の現量観行に代わることはできない。疑惑は自己の観行を通じて解決すべきであり、他人の説く所は内心の疑惑を解除できず、自ら見証したものでないが故である。或る者は手段を講じて修行成果を搾取しようとするが、仏法は修する者が得るものであり、搾取したものは自己のものとならず、見道の智慧も得られない。今や瑜伽師地論が指針として存在し、法理は益々明瞭となり、証果明心の事に於いて、誰が不服であろうとも如何ともし難く、然らば弥勒菩薩に訴えて論じる他ない。

原文:於諸聖諦。現觀已後。乃至永斷。見道所斷。一切煩惱。名遠離作意。複從此後。爲欲進斷。修所斷惑。如所得道。更數修習。永斷欲界。上品中品。諸煩惱已。得一來果。如預流果。所有諸相。今於此中。當知亦爾。然少差別。

釈すべきこと:四聖諦を現観した後、見道の断ずべき一切の煩悩を永遠に断除するに至るまでを遠離作意と名付け、これは初果の境界であり、欲界下品の煩悩を断除したことを指す。此れより後、更に修道の断ずべき煩悩惑を断除せんが為に、証得した初果の我見断を基盤として、一層努力し精勤に修習し、欲界上品及び中品の煩悩を永遠に断除した後、二果一来果を証得する。初果を証得した際に具えた功徳の如く、二果人が具える功徳もまた此の如きものであるが、但し其中には尚若干の差別が存在する。

原文:謂若行境界。於能隨順。上品猛利。煩惱纏處。由失念故。暫起微劣。諸煩惱纏。尋能作意。速疾除遣。唯一度來。生此世間。便能究竟。作苦邊際。得不還果。及不還相。如前已說。

釈すべきこと:二果の人が境界に直面する時、欲界上品の猛烈なる煩悩纏縛に随順し得る所において、失念の故に、微細劣弱なる諸煩悩纏縛が生起した直後、即座に作意し、速やかに煩悩纏縛を除遣する。その後再び此の世間に受生するも、一度のみで究竟の苦の边际に到達し、三果不還果を証得し、及び不還欲界の功徳相を具える。これについては既に前述した通りである。

初果の見道によって断ずる煩悩は欲界下品の煩悩であり、欲界衆生の煩悩中最も粗重なる部分であって、人間及び三悪道の衆生が有する煩悩であり、天界の衆生は粗重なる煩悩を有さず、中品及び上品の煩悩を有し、人間もまた中品及び上品の煩悩を有する。もし欲界衆生の煩悩を喜ばず随順せざれば、欲界の中品及び上品の煩悩を断除し、二果を証得することができる。欲界の上中下三品の煩悩を断除すれば、欲界貪を遠離し、初禅定を出生し、三果を証得する。

故に初果は証道であり、二果及び三果は修道を開始し、修道の断ずべき煩悩は初果よりも微細で断じ難く、一旦断除すれば智慧は増進する。初果より三果までの修道は煩悩を断除することを以てし、禅定及び煩悩の程度を以て果位と智慧の階層を定める。故に修習理論の最終かつ根本の目的は煩悩を断除し、身口意行を清浄にすることにあり、此れを為さずに理論のみを重んずるならば、修道と称するに足らぬ。

第四節 修道の功徳

原文:當知此中。由觀察作意。於一切修道。數數觀察。已斷未斷。如所得道。而正修習。又於此中。雲何名修自性。雲何名修業。雲何名修。品類差別。謂由定地作意。於世出世。善有爲法。修習增長。無間所作。殷重所作。令心相續。會彼體性。如是名爲。修之自性。 

釈すべきこと:修道の過程において、観察作意が有るが故に、一切の修道過程に於いて数数反復して、自己が既に断除した煩悩と未だ断除せざる煩悩を観察し、修すべき道に従って正しく如理に修習する。四聖諦を修習する過程において、何を修の自性と称するか。何を修業と称するか。何を修の品類差別と称するか。禅定に於いて作意し修習し、世出世間の善なる有為法に対し絶え間なく修習し、精進して修習し、無間断に善を行じ、精勤して善を修し、心相続を断たずして善法に住せしめ、心が善の体性と相合することを、これを修の自性と称するのである。

原文:當知修業。略有八種。一有一類法。由修故得。二有一類法。由修故習。三有一類法。由修故淨。四有一類法。由修故遣。五有一類法。由修故知。六有一類法。由修故斷。七有一類法。由修故証。八有一類法。由修故遠。

釈すべきこと:而して修業は大略八種有る。一に、修によって初めて得られる一類の法が有る。二に、修によって初めて現前出現する一類の法が有る。三に、修によって初めて清浄となる一類の法が有る。四に、修によって初めて遣除される一類の法が有る。五に、修によって初めて証知される一類の法が有る。六に、修によって初めて断除される一類の法が有る。七に、修によって初めて証得される一類の法が有る。八に、修によって初めて遠離される一類の法が有る。

原文:若先未得。殊勝善法。修習令得。名修故得。若先已得。令轉現前。名修故習。若先已得。未令現前。但由修習。彼種類法。當令現前。令轉清淨。鮮白生起。名修故淨。若有失念。染法現行。修善法力。令不忍受。斷除變吐。名修故遣。

釈すべきこと:先に殊勝なる善法を得ていなかった場合、修習によってそれを得る。これを修によって得る故に名付けられる。先に既に善法を得ていた場合、修習によって善法を現前出現させる。これを修によって習う故に名付けられる。先に既に善法を得ていたが、善法を現前出現させていなかった場合、その種類の善法を修習することによって、それを現前させ、更に清浄にし、鮮明白浄に出現させる。これを修によって浄める故に名付けられる。失念によって染污法が生起した場合、善法を修する力によって、心が染污の法に耐えず、染污法を断除し吐き出す。これを修によって遣わす故に名付けられる。

原文:若未生起。所应断法。修善法力。了知如病。深心厌坏。了知如痈如箭。障碍无常苦空。及以无我。深心厌坏。名修故知。如是知已。数修习故。无间道生。断诸烦恼。名修故断。烦恼断已。证得解脱。名修故证。如如进趣。上地善法。如是如是。令其下地已断。诸法转成远分。乃至究竟。名修故远。当知是名。八种修业。

釈すべきこと:未だ生起せざる断ずべき法が有る場合、善法を修習する力によって、断ずべき法が病の如く、深く心に厭うべきことを了知し、断ずべき法が癰疽の如く、毒矢の如く、無常・苦・空・無我の智慧を障碍することを了知し、深く心に厭離する。これを修によって知る故に名付けられる。かくの如く断ずべき法の体性を了知した後、数数反復して修習したが故に、無間断の道が出生し、諸煩悩を断除する。これを修によって断ずる故に名付けられる。煩悩を断除した後、解脱を証得する。これを修によって証ずる故に名付けられる。かくの如く絶えず上地の善法に趣向し、かくの如く下地の煩悩を断除し、諸下地の法が自己より更に遠く離れ、乃至究竟して遠離する。これを修によって遠ざける故に名付けられる。以上が八種の修業である。

原文:應知此修。品類差別有十一種。一奢摩他修。二毗鉢捨那修。三世間道修。四出世道修。五下品道修。六中品道修。七上品道修。八加行道修。九無間道修。十解脫道修。十一勝進道修。

釈すべきこと:行者はこの修習の品類と差別が十一种有ることを知るべきである。一に、止と禅定の修法。二に、観と智慧の修法。三に、世間道の修習。四に、出世間道の修習。五に、下品道の修習。六に、中品道の修習。七に、上品道の修習。八に、四加行道の修習。九に、無間道の修習。十に、解脱道の修習。十一に、勝進道の修習。

原文:奢摩他修者。謂九種行。令心安住。如前已說。毗鉢捨那修。亦如前說。世間道修者。謂於諸下地。見粗相故。於諸上地。見靜相故。乃至能趣。無所有處。一切離欲。出世道修者。謂正思惟。苦真是苦。集真是集。滅真是滅。道真是道。由正見等。無漏聖道。乃至能趣。非想非非想處。一切離欲。

釈すべきこと:止の修習は、九種の方法を用いて心を安住させることであり、前記の如きものである。毗鉢舎那の修習もまた前記の如きものである。世間道修の意味は、諸下地(欲界)に於いて粗相を見、諸上地(色界・無色界)に於いて静相を見、乃至無所有処に趣向し、一切の地に於いて欲を離れ執着せず、世間に於いて無礙であることを指す。出世間道修の意味は、苦諦が真に苦であり、集諦が真に集であり、滅諦が真に滅であり、道諦が真に道であることを正しく思惟し、正見等の無漏の聖賢の道を有し、乃至非想非非想処に趣向し、一切の地に於いて欲を離れ執着せず、出世間道に於いて無礙であることを指す。

原文:下品道修者。謂由此故。能斷最粗。上品煩惱。中品道修者。謂由此故。能斷所有。中品煩惱。上品道修者。謂由此故。能斷所有。最後所斷。下品煩惱。

釈すべきこと:下品道修の意味は、この種の修によって、最も粗重なる上品の煩悩を断除することができることを指す。中品道修の意味は、この種の修によって、全ての中品の煩悩を断除することができることを指す。上品道修の意味は、この種の修によって、全ての最後に断ずべき下品の煩悩を断除することができることを指す。

原文:加行道修者。謂由此故。爲斷煩惱。發起加行。無間道修者。謂由此故。正斷煩惱。解脫道修者。謂由此故。或斷無間。証得解脫。勝進道修者。謂由此故。從是已後。修勝善法。乃至未起。餘地煩惱。能治加行。或複未起。趣究竟位。當知是名。十一種修。品類差別。

釈すべきこと:加行道修の意味は、この種の修によって、煩悩を断除する為に加行を発起することを指す。無間道修の意味は、この種の修によって、真実に煩悩を断除し、且つ永遠に煩悩を断ずることを指し、無間道と称される。解脱道修の意味は、この種の修によって、無間に煩悩を断除し、解脱を証得することを指す。勝進道修の意味は、この種の修によって、此れより後により勝れた善法を修行し、乃ち其の余の諸地の煩悩も生起せず、対治及び加行の法も或いは生起せず、究竟の四正性離生の位に趣向し、再び三界世間に出生しないことを指す。これが十一种の修の品類差別である。

原文:如是於修。勤修習者。於時時間。應正觀察。所有煩惱。已斷未斷。於時時間。於可厭法。深心厭離。於時時間。於可訢法。深心訢慕。如是名爲。攝樂作意。彼即於此。攝樂作意。親近修習。多修習故。有能無餘永斷。修道所斷煩惱。最後學位。喻如金剛。三摩地生。由此生故。便能永斷。修道所斷。一切煩惱。

釈すべきこと:このように修に対する精勤なる修習者は、一切の時に於いて正しく観察すべきである、全ての煩悩が既に断除されたのか、未だ断除されていないのかを。一切の時に於いて厭うべき法に対し深く厭離し、一切の時に於いて喜ぶべき法に対し深く欣喜し仰慕する。かくの如きを摂楽作意と名付ける。行者がこの摂楽作意に親近し修習し、多分に修習したが故に、修道の断ずべき煩悩を全て永遠に断除し、最後の学位が出生する。この位は金剛三摩地に喩えられる。最後の学位が出生したが故に、修道の断ずべき一切の煩悩を永遠に断除することができるのである。

この最後の学位は三果の位である。初果・二果・三果は有学位に属し、三果の有学位に於いて一切の煩悩を断尽し、四果の無学位を証得する。此れより修すべき法無く、断ずべき煩悩無く、無学と名付けられる。

原文:問。何因緣故。此三摩地。名金剛喻。答。譬如金剛。望餘一切。末尼真珠。琉璃螺貝璧玉。珊瑚等諸珍寶。最爲堅固。能穿能壞。所餘寶物。非餘寶物。所能穿壞。如是此三摩地。於諸有學。三摩地中。最上最勝。最爲堅固。能壞一切。所有煩惱。非上煩惱。所能蔽伏。是故此三摩地。名金剛喻。

釈すべきこと:問:何の故にこの三摩地は金剛喩を以て名とするのか。答:譬えば金剛は、一切の摩尼・真珠・瑠璃・螺貝・壁玉・珊瑚等の珠宝と比べるに、最も堅固であり、他の一切の宝物を穿ち壊すことができ、しかも他の宝物によって穿ち壊されることが無いが如く、この三摩地は一切の有学の三摩地の中において最も勝れたる最殊勝最堅固なるものであり、一切の煩悩を破壊し、上煩悩によって覆蔽・降伏されることが無い。故にこの三摩地は金剛を以て喩えと為して名付けられるのである。

初果より三果までは有学位に属する。何故なら未だ煩悩漏が断除されず、修すべき法が残り、その煩悩が未だ断尽されていないか、あるいは未だ煩悩を断じず、修学する必要が有り、以て煩悩を断尽せしむるが故である。煩悩が断尽された四果阿羅漢は、もはや漏も煩悩も断つべきものが無く、修すべき法も無く、再び解脱道の諦理を修学する必要が無く、既に最後の清浄に到達し、既に三界世間の諸有より解脱した。故に無学と称され、三果以前は決して此の如くでは無い。三果が証得する三摩地は初果・二果よりも勝れており、最も堅固なるものであり、金剛三摩地と名付けられるのである。

第五節 阿羅漢の功徳

原文:從此金剛喻三摩地。無間永害。一切煩惱品。粗重種子。其心於彼。究竟解脫。証得畢竟。種姓清淨。於諸煩惱。究竟盡中。發起盡智。由因盡故。當來苦果。畢竟不生。即於此中。起無生智。彼於爾時。成阿羅漢。諸漏已盡。所作已辦。無複所作。証得自義。盡諸有結。已正奉行。如來聖教。心善解脫。

釈すべきこと:この金剛三摩地を経た後、一切の煩悩品類の粗重なる種子を無間断に永遠に断除し、その心は諸煩悩を究竟解脱し、畢竟種姓清浄を証得する。一切の煩悩が究竟断尽される同時に、世間尽智が発起し、煩悩の因が断尽されたが故に、後世の苦果は畢竟して再び生起しない。煩悩を断尽する同時に、五蘊世間の無生智が生起する。この時、三果人は四果阿羅漢となり、諸漏は既に尽き、所作すべきことは為し終え、後有は再び無く、三界の結は尽き、既に完うして如来の聖教を奉行し、心は善く解脱したのである。

四果阿羅漢は無間尽智と無生智を有する。無間尽智とは、無間断に世間一切の煩悩を断尽し、三界世間一切の苦を滅尽し、如何にして三界世間を出離し解脱を得るかを知る、このような智慧を無間尽智と名付ける。無生智とは、五蘊世間が苦・空・無常・無我であることを証得し、五蘊世間が虚妄であるが故にまた無生であり不実であることを了知する、このような智慧を無生智と名付ける。

原文:已具成就。十無學法。謂無學正見正思惟。乃至無學。正解脫正智。於諸住中。及作意中。能隨己心。自在而轉。隨所樂住。或聖或天。或梵住中。即能安住。隨樂思惟。所有正法。能引世間。或出世間。諸善義利。即能思惟。

釈すべきこと:既に十種の無学法を具足成就した。正見・正思惟・正語・正業・正念・正定・正命・正精進の無学、乃至正解脱・正智に至るまで無学となり、これら十種の法が全て具足し、もはや修学する必要が無い。一切の住する所及び作意の中において、全て自らの心に随い自在に運転し、自らが楽んで住する所に随って、あるいは聖住、あるいは天住、あるいは清浄住の中に即座に安住することができる。自らが楽んで思惟する全ての正法に随い、世間あるいは出世間の諸善法の義利を引出し、即座に思惟することができる。

原文:言聖住者。謂空住無願住。無相住。滅盡定住。言天住者。謂諸靜慮。諸無色住。言梵住者。謂慈住悲住喜住捨住。又於爾時。至極究竟。畢竟無垢。畢竟証得。梵行邊際。離諸關鍵。已出深坑。已度深塹。已能摧伏。彼伊師迦。是爲真聖。摧滅高幢。已斷五支。成就六支。

釈すべきこと:聖住と説かれるものは、空住・無願住・無相住・滅尽定住を指す。天住と説かれるものは、種々の禅定境界、全ての無色界住を指す。梵住と説かれるものは、慈住・悲住・喜住・捨住を指す。また一切の煩悩を断じ尽くした時に究竟に到達し、もはや汚垢無く、畢竟して清浄なる梵行の边际を証得し、一切の要害を離れ、既に深き坑を跳出し、既に深き堑を越え、既に我慢の高山を催伏し得る真実の聖人となり、高慢の幢を催滅し、既に貪・瞋・痴・慢・疑の五支煩悩漏を断除し、戒・定・慧・解脱・解脱知見等の六支功徳を成就したのである。

原文:一向守護。四所依止。最極遠離。獨一諦實。棄捨希求。無濁思惟。身行猗息。心善解脫。慧善解脫。獨一無侶。正行已立。名已親近。無上丈夫。具足成就。六恒住法。謂眼見色已。無喜無憂。安住上捨。正念正知。如是耳聞聲已。鼻嗅香已。舌嘗味已。身覺觸已。意了法已。無喜無憂。安住上捨。正念正知。

釈すべきこと:一貫して仏法僧戒の四つの依り所を守護し、一切の世間法から遠離し、解脱して無礙となり、心に唯一つの真理を有し、五蘊世間に於いて希求する所無く、思惟は清浄で染污無く、行き来し止むこと自在で軽安であり、繋がる所無く、心は善く解脱し、智慧は善く解脱し、世間に於いて心は一法と伴侶とならず、如何なる一法にも繋属せず、如何なる一法の特性も具えず。正行が既に建立された故に、無上の丈夫たる仏世尊に親近したと称され、六つの恒常住法を具足成就する。即ち眼が色を見た後、喜も憂いも無く、上捨に安住し、正念正知あるが如く、耳が声を聞き、鼻が香を嗅ぎ、舌が味を嘗め、身が触を覚え、意が法を了する後も、全て同様に喜も憂いも無く、上捨に安住し、正念正知あるのである。

原文:彼於爾時。領受貪欲。無餘永盡。領受瞋恚。無餘永盡。領受愚癡。無餘永盡。彼貪瞋癡。皆永盡故。不造諸惡。習近諸善。其心猶如。虛空淨水。如妙香檀。普爲一切。天帝天王。恭敬供養。住有餘依。般涅槃界。度生死海。已到彼岸。亦名任持。最後有身。

釈すべきこと:阿羅漢はこの時、六塵の境界を領受する際に現れる貪欲が永遠に断尽され余すところなくなり、六塵の境界を領受する際に現れる瞋恚が永遠に断尽され余すところなくなり、六塵の境界を領受する際に現れる愚痴が永遠に断尽され余すところがなくなった。貪・瞋・痴が全て永遠に断尽されたが故に、もはや諸悪業を造作せず、諸善法を修習し、その心はあたかも虚空と清浄なる水の如く、また妙なる栴檀香の如く、普く天帝・天王たちに恭敬供養される。有余依涅槃界に住し、生死の海を渡越し、既に彼岸に到達した。これもまた最後の有身を住持するものと名付けられる。

原文:先業煩惱。所引諸蘊。自然滅故。餘取無故。不相續故。於無餘依。般涅槃界。而般涅槃。此中都無。般涅槃者。如於生死。無流轉者。唯有衆苦永滅。寂靜清涼滅沒。唯有此處。最爲寂靜。所謂棄捨。一切所依。愛盡離欲。永滅涅槃。

釈すべきこと:過去の煩悩業によって引き出された五蘊が自然に滅び去ったが故に、三界世間に対する執着がもはや存在せず、後世の生命が再び相続することは永遠にない。無余依涅槃界において涅槃を得るが、しかし涅槃に入る者も存在せず、同様に生死を流転する者も存在しない。ただ衆苦が永遠に滅尽し、寂静で清凉であり、一切の法が滅没するのみである。この涅槃の境地こそが最も寂静であり、一切の依り所を捨て去り、貪愛が永遠に尽きて全ての欲を離れ、五蘊が永遠に滅尽し、無余涅槃に入るのである。

原文:當知此中。有如是相。阿羅漢苾芻。諸漏永盡。不能習近。五種處所。一者不能故思。殺害諸衆生命。二者不能。不與而取。三者不能。行非梵行。習婬欲法。四者不能知而妄語。五者不能貯畜受用。諸欲資具。如是不能。妄計苦樂。自作他作。自他俱作。非自他作。無因而生。又亦不能。怖畏一切。不應記事。又亦不能。於雲雷電。霹靂災雹。及見種種。怖畏事已。深生驚怖。

釈すべきこと:あなたがたは知るべきである、阿羅漢果を得ればこのような相貌があることを。阿羅漢比丘の諸煩悩漏は永遠に滅尽し、もはや以下の五種の事を造作しない。第一に、故意に衆生の生命を殺害しようと欲することができない。第二に、相手の許可なく自ら相手の物を取得することができない。第三に、不浄な淫欲行を造作することができない。第四に、知りながら妄語を述べることができない。第五に、資生需要を満たすための全ての資具を貯蔵し受用することができない。阿羅漢はまた虚妄に計らい、苦楽が苦楽自性の作るところ、あるいは大自在天の作るところ、あるいは苦楽自性と大自在天の共同作るところ、あるいは苦楽自性でも大自在天でもない無因から生じると執着することもできない。さらに、暗雲、雷鳴、霹靂、雹、および種々の恐怖事に対し、深く驚き恐れ畏れることもない。

原文:當知此中。金剛喻定。所攝作意。名加行究竟作意。最上阿羅漢果。所攝作意。名加行究竟果作意。由如是等。多種作意。依出世道。証得究竟。如是一切。名聲聞地。此是一切。正等覺者所說。一切聲聞。相應教法根本。猶如一切。名句文身。是所制造。文章咒術。異論根本。

釈すべきこと:修道上において、金剛喩定によって摂受された作意は加行究竟作意と名付けられ、最上の阿羅漢果によって摂受された作意は加行究竟果作意と名付けられることを知るべきである。このような多種の作意によって、出世間道に依ってのみ究竟を証得することができ、このように一切の種々なるものは声聞地と名付けられる。これは一切の正等覚者たる諸仏の説かれたところであり、一切の声聞に相応する根本教法であって、あたかも一切の名身・句身・文身が文章・咒術・異論を製造する根本であるが如きものである。

ページのトップへ戻る