阿含経十二因縁釋
第二節 四十四種の智と七十七種の智
(三五六)四十四種の智
原文:爾時。世尊告諸比丘。有四十四種智。諦聽善思。當爲汝說。何等爲四十四種智。謂老死智。老死集智。老死滅智。老死滅道跡智。
釈:世尊は諸比丘に告げます。四十四種の智があります。よく聞いて善く思惟しなさい。今あなたたちに説きます。四十四種の智とは何でしょうか。つまり老死を如実に知る智、老死集を如実に知る智、老死滅を如実に知る智、老死滅道跡を如実に知る智。生を如実に知る智、生集を如実に知る智、生滅を如実に知る智、生滅道跡を如実に知る智。
原文:如是生有。取愛受觸。六入處名色識行智。行集智行滅智。行滅道跡智。是名四十四種智。
釈:このように有を如実に知る智、有集を如実に知る智、有滅を如実に知る智、有滅道跡を如実に知る智。取を如実に知る智、取集を如実に知る智、取滅を如実に知る智、取滅道跡を如実に知る智。愛を如実に知る智、愛集を如実に知る智、愛滅を如実に知る智、愛滅道跡を如実に知る智。受を如実に知る智、受集を如実に知る智、受滅を如実に知る智、受滅道跡を如実に知る智。触を如実に知る智、触集を如実に知る智、触滅を如実に知る智、触滅道跡を如実に知る智。六入処を如実に知る智、六入処集を如実に知る智、六入処滅を如実に知る智、六入処滅道跡を如実に知る智。名色を如実に知る智、名色集を如実に知る智、名色滅を如実に知る智、名色滅道跡を如実に知る智。六識を如実に知る智、六識集を如実に知る智、六識滅を如実に知る智、六識滅道跡を如実に知る智。行を如実に知る智、行集を如実に知る智、行滅を如実に知る智、行滅道跡を如実に知る智。以上が四十四種の知るべき智です。
これらの智はすべて十二因縁の十一支の緣起を実証する智を指します。実証したいなら、甚深な禅定の中で如実に理にかなって観行し、観照しなければなりません。情思意解してはいけません。解の理は実際の役に立たず、煩悩心を降伏することもできず、さらに煩悩心を断ち切ることもできません。無明があれば、生死輪廻は止められません。因縁法の理解は難しくないが、難しいのは定中での観行、定中での参究で、各支分の来歴をすべて参究して明らかにし、各支分がすべて生死の結縛であり、苦であり空であり、我ではないことを本当に認識し、それによって生死の鎖を切り、結縛を開き、断ち切り、滅ぼし、自心が解脱と自由を得ることができます。
(三五七)七十七種の智
原文:爾時。世尊告諸比丘。有七十七種智。諦聽善思。當爲汝說。雲何七十七種智。生緣老死智。非餘生緣老死智。過去生緣老死智。非餘過去生緣老死智。未來生緣老死智。非餘未來生緣老死智。及法住智。無常有爲。心所緣生。盡法。變易法。離欲法。滅法。斷知智。
釈:世尊は諸比丘に告げます。七十七種の智があります。よく聞いて善く思惟しなさい。何が七十七種の智でしょうか。第一の智は、世間に生の因縁があれば、必ず老死があると知る智。第二の智は、生が滅べば、老死も必ず滅ぶと知る智。第三の智は、過去世に生の故に、必ず老死があると知る智。第四の智は、過去世の生が滅べば、過去世の老死も必ず滅ぶと知る智。第五の智は、未来世に生の故に、必ず未来世の老死があると知る智。第六の智は、未来世の生が滅べば、未来世の老死も必ず滅ぶと知る智。第七の智は法住智で、生が無常の有為法であり、七識心が所縁して生じる法であり、尽きる法であり、変易する法であり、欲を離れる法であり、滅ぶ法であり、法住智も生を断ち切る方法を知る智。
原文:如是生。有取愛受。觸六入處。名色識行。無明緣行智。非餘無明緣行智。過去無明緣行智。非餘過去無明緣行智。未來無明緣行智。非餘未來無明緣行智。及法住智。無常有爲。心所緣生。盡法。變易法。無欲法。滅法。斷知智。是名七十七種智。佛說此經已。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行。
釈:生に対して七種の智があり、十二因縁法の有、取、愛、受、触、六入、名色、六識、意根の行と無明に対しても同じ七種の智があり、合わせて七十七種の智になります。たとえば無明緣行について、第一の智は無明の故に、必ず行があると知る智。第二の智は無明が滅べば、行も必ず滅ぶと知る智。第三の智は過去世に無明がある故に、必ず行があると知る智。第四の智は過去世の無明が滅べば、行も必ず滅ぶと知る智。第五の智は未来世に無明がある故に、必ず行があると知る智。第六の智は未来世の無明が滅べば、未来世の行も必ず滅ぶと知る智。第七の智は法住智で、無明が無常の有為法であり、七識心が所縁して生じる法であり、尽きる法であり、変易する法であり、欲望がない法であり、滅ぶ法であり、無明の法住智も無明を滅ぼす方法を知る智。
(三五八)順因縁で苦を増やし逆因縁で苦を減らす
原文:爾時。世尊告諸比丘。有增法減法。諦聽。善思。當爲汝說。雲何增法。所謂此有故彼有。此起故彼起。謂緣無明行。緣行識。乃至純大苦聚集。是名增法。
釈:世尊は諸比丘に告げます。増法と减法というものがあります。よく聞いて、善く思惟しなさい。今あなたたちに説きます。増法とは何でしょうか。増法とは、これがあるから、あれがある。これが起きるから、あれが起きる。つまり、無明に縁して行があり、行に縁して識があり、乃至生に縁して老病死、憂悲苦悩、純大苦が集まる。これは十二因縁の順生死流転の縁起法で、増法と呼ばれ、生死の苦を増やす法です。
原文:雲何減法。謂此無故彼無。此滅故彼滅。所謂無明滅則行滅。乃至純大苦聚滅。是名減法。
釈:减法とは何でしょうか。减法とは、これがないから、あれがない。これが滅びるから、あれも滅びる。つまり、無明が滅びれば行も滅び、乃至純大苦聚も滅びる。これは十二因縁の逆生死流の縁滅法で、减法と呼ばれ、生死の苦を減らす法です。
(三五九)攀縁識住により未来の苦聚がある
原文:爾時。世尊告諸比丘。若思量。若妄想生。彼使攀緣識住。有攀緣識住故。有未來世生老病死憂悲惱苦。如是純大苦聚集。若不思量。不妄想。無使攀緣識住。無攀緣識住故。於未來世生老病死憂悲惱苦滅。如是純大苦聚滅。
釈:世尊は諸比丘に告げます。もし思量や妄想が生じれば、それが攀縁識を住ませる。攀縁識が住むから、未来世の生老病死、憂悲苦悩がある。このように純大苦が集まる。もし思量も妄想もなければ、攀縁識を住ませるものがない。攀縁識が住まないから、未来世の生老病死、憂悲苦悩が滅びる。このように純大苦聚が滅びる。
ここで言う思量と妄想は、意根の思量と妄想性を指します。意根が諸法を思量し、諸法について妄想するとき、六識が生じて身口意行を造作して意根の妄想を満たし、意根の妄想を実現します。そうすると、六識は妄想の境界に住み、身口意行が現行し、業種が残り、后世の名色が生老病死、憂悲苦悩を受けることになります。もし意根が諸法をもはや思量せず、妄想もなければ、六識は生じず、身口意行も現れず、業種が残らず、后世の生老病死、憂悲苦悩もなくなります。