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四念処経講記(第二版)(新修正)

作者: 釋生如 分類: 二乗の解脱 更新時間: 2024-12-02 閲覧回数: 16

第五章   法を観察して住む

三、六内外処の法を観察して住む

原文:複次。諸比丘。比丘即於六内外處法。觀法而住。然。諸比丘。比丘如何於六内外處法觀法而住耶。於此。諸比丘。比丘知眼知色。知緣其二者生結。而知未生之結生起。又知已生之結滅盡。又知已滅盡之結。於未來不再生起。

釈:引き続き話を進めます。諸比丘よ、比丘は六内处法と六外处法を観察しなければなりません。心は六内处法と六外处法の観察に住ませるべきです。この観行に関して、諸比丘よ、比丘はどのように六内处法と六外处法を観法しながら住むことができるのでしょうか?それはこうです。諸比丘よ、比丘は眼根を了知し、色塵を了知し、眼根と色塵に縁して生死の结缚(けつばく)が生じることを了知しなければなりませ。そして、心の中にまだ現れていない结缚が今起こってきたことを了知し、既に起こっている结缚が今滅尽(めつじん)したことを了知し、既に滅尽した结缚が未来に再び生じないことを了知しなければなりませ。

六内处法とは、六つの内根を指します。勝義根内の五根と意根です。意根は外根にも属し、内根にも属します。六外处法とは、六塵を指します。勝義根内に落ちる色声香味触法です。六根と六塵が接触すると、もし意根が了別して身口意行を造作しようと思うなら、如来藏(にょらいぞう)は六識を生じさせます。六識の心行が生じ出されます。もしここで貪愛や嫌悪などの心行が現れるなら、それは生死の结缚です。

结缚は全部で九つあります。愛结(あいけつ)、恚结(いけつ)、慢结(まんけつ)、无明结(むみょうけつ)、見结(けんけつ)、取结(しゅけつ)、疑结(ぎけつ)、妒结(とけつ)、悭结(けんけつ)です。全ての煩悩の结缚は根塵の接触するところで起こります。もし意根が六塵を了別し決定しないなら、六識は生じないです。これらの煩悩の结も生じないです。たとえ六識が六塵を了別した後、了別の状況を意根に伝えても、もし意根に煩悩がないなら、六識に煩悩を起こさせることもないです。もし六識に煩悩がないなら、意根を薫染して調整し、煩悩を起こさせないこともできます。このようにして生死の结缚はなくなります。だから、観行の時、多くは六根が六塵に触れる時に観行し、心を六内法と六外法处に住ませることで、自分の心行を如実に了知できます。自分の煩悩の结缚を降伏し断除できます。これが修行です。

眼根と色塵という一対の法を観行する時、定慧が成長し、心はますます清浄になります。元々の全ての结缚はゆっくりと薄まり消えていきます。その後、比較的に徹底的に消えて、未来に再び現れないようになります。これは観行によって煩悩の结缚を断除し、心が自在になったことです。これらの状況は全て了知しなければなりませ。心の中でははっきりと分かっています。例えば、元々は山や水を遊ぶことが好きだったのですが、観行によって山や水を遊ぶことにもう興味がなくなり、心はもう飽きて、もう遊ぶことをしたくないです。そして、これ以後、山や水を遊ぶことに再び興味を持つことはないことを保証できます。

原文:又知耳知聲。知緣其二者生結。而知未生之結生起。又知已生之結滅盡。又知已滅盡之結。於未來不再生起。乃至知鼻知香。知緣其二者生結。而知未生之結生起。又知已生之結滅盡。又知已滅盡之結。於未來不再生起。乃至知舌知味。知緣其二者生結。而知未生之結生起。又知已生之結滅盡。又知已滅盡之結。於未來不再生起。

釈:また、耳根を了知し、声塵を了知し、耳根と声塵に縁して生死の結縛が生じることを了知しなければなりませ。そして、心の中にまだ生じていない結縛が今生じてきたことを了知し、既に生じている結縛が今滅尽したことを了知し、さらに既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを了知しなければなりませ。

引き続き、鼻根を了知し、香塵を了知し、鼻根と香塵に縁して生死の結縛が生じることを了知しなければなりませ。また、元々生じていない結縛が今生じてきたことを了知し、既に生じている結縛が今滅尽したことを了知し、さらに既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを了知しなければなりませ。さらには、舌根を了知し、味塵を了知し、舌根と味塵に縁して生死の結縛が生じることを了知しなければなりませ。その後、まだ生じていない結縛が今生じてきたことを了知し、既に生じている結縛が今滅尽したことを了知し、さらに既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを了知しなければなりませ。

心の中で結縛が生じた場合、どのように観行するのでしょうか?例えば、耳根が音楽と接触した時、元々心の中に貪愛がなかったのに、聞いて聞いてだんだん好きになり、貪愛の結縛が生じます。その後、ある種の理由で、この音楽がもう好きではなくなり、この音楽に対する貪愛の結縛が滅尽します。そして、これ以後、この音楽を再び聞いてももう好きにならないことを知ります。いかなる色声香味触法の境界に遭遇しても、自分の内心の結縛が何であるかを観察することを学びなければなりませ。ただ、これが生死の結縛で、不法であることを知ればいいです。このような考えや知見を意根に伝え、ゆっくりと意根を薫染します。意根は意識が知らないうちに思量します。一旦、貪愛などの結縛が確かに悪いことを知ると、自分の煩悩を抑圧します。定力が強まると、煩悩の結縛を滅尽できます。

原文:乃至知身知觸。知緣其二者生結。而知未生之結生起。又知已生之結滅盡。又知已滅盡之結。於未來不再生起。乃至知意知法。知緣其二者生結。而知未生之結生起。又知已生之結滅盡。知已滅盡之結。於未來不再生起。

釈:さらには身根を了知し、触塵を了知し、身根と触塇を縁として生じる生死の結縛を了知しなければなりませ。元々生じていない結縛が今、生じてきたことを了知し、既に生じている結縛が今、滅尽したことを了知し、既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを了知しなければなりませ。

さらに、意根と法塵が接触する時、意根を了知し、法塇を了知し、意根と法塇を縁として生じる生死の結縛を了知しなければなりませ。元々生じていない結縛が今、生じてきたことを了知し、既に生じている結縛が今、滅尽したことを了知し、既に滅尽した結縛が未来に再び生じないことを了知しなければなりませ。

原文:如是。或於内法觀法而住。於外法觀法而住。於内外法觀法而住。或於法觀生法而住。或於法觀滅法而住。或於法觀生滅法而住。尚又智識所成。及憶念所成。皆會有法之思念現前。彼當無所依而住。且不執著世間任何物。比丘如是。於法觀法而住。

釈:このように観行します。内法の六根に対して観法しながら住むこともできます。あるいは外法の六塵に対して観法しながら住むこともできます。または内外法の六根と六塵を同時に観察し、心を観法に住ませることもできます。あるいはこれらの法に対して、生起の状況を観察し、その後、滅去の状況を観察します。あるいは生起と滅去の状況を同時に観察します。

内外法の観行を終えると、生法と滅法の観行も完了します。識心の心の念々の中には必ず法の存在があり、憶念の中にもこれらの法ばかりです。その後、これらの内外法に関する念を空にします。心の念は法に依拠せずに住み、また世間のどの物にも執着せずに住み、心の中には一つの法も住ませませ。内法にも住ませず、外法にも住ませず、なぜなら、内外法は皆生滅変異の無常なもので、依止できないことを知っているからです。心の中では全ての法を空にし、どの法にも依拠せずに住みます。また、世間のどの物にも執着せずに住みます。このようにして、内心は非常に清浄に空になります。比丘はこのように法を観法しながら住むべきです。

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