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生如法師
菩薩の職責と煩悶
意根が内外の四大に対する執着性の違い
随眠煩悶に対してどのように対処すべきか
修行とは、真心如来藏に依拠して七識の無明と染污を除去することである
我見を断つことと悟りを開き明心することは、皆意根によって証得される
人身を得るのはなぜそんなに難しいのか
修行が進歩しているかの表現
六識と七識の関係
知見無見、斯即涅槃
三果阿羅漢と四果阿羅漢
供養の意味及び範囲
我見を断つ後も恐怖心があるのか
一切の法は皆意根のために用いられる
母子連心の原理
俱解脱の大阿羅漢の三明六通
無生法忍の智慧の境界
我見を断つ前提条件
意識が意根を導いて観行するように訓練する方法
各レベルの人には各レベルの法がある
我見を断つには必ず禅定の配合が必要である
仏法の伝播と滅亡の真実
自己暗示は催眠に似ている
仏の悲心もまた虚妄なものなのか
何が無生法忍か
意識はなぜ時々力が意根よりも強いのか
何が波罗密か
口先と心が一致しない時、口で言うことと心で思うことはそれぞれどの識に対応するか
菩薩の心行は、衆生によって推測できない
各種の無為法の違い
無縁無故の心理的な情緒は全て意根のものである
意識が思惟する過程は意根を転換する過程である
我見を断つことと我執を断つことの隔たり
善き菩薩の基準とは何か
第八識が共有されない証拠
一切法の証明過程こそ各人の真の智慧を顕す
実修実証とは何か
意根の慧心所の作用
疑念の力が強い理由
疑心を取り除く方法
意識の瞋と意根の瞋の違い
意根と意識の関係
意根と意識のどちらが果報を受ける主体か
菩薩は無条件に衆生を度しなければ成仏できない
業行は主に意根の心行である
定慧を増長する方法
起始頁
末頁